2013年10月17日

お芝居という形の説教 十中連合×the★planktons『ある訣別』

☆十中連合×the★palanktons『ある訣別』

 作・演出:渡邉憲明
(2013年10月16日19時半/KAIKA)

*劇団からのご招待


 独特のフラ(おかしみ)は持ちながらも、根は非常にまじめな植木等がおなじみ『スーダラ節』を渡されて、こんな歌なんか歌いたくないと悩み、同居する父徹誠の前で例の「ちょいと一杯のつもりで飲んで」と歌ってみせたところ、徹誠は「わかっちゃいるけど、やめられない」のフレーズに感嘆、この曲はヒットするぞと口にした。
 人間は、わかっちゃいるけどやめられないもの。
 それこそ親鸞上人の教えとも重なる人間の真理を突いた素晴らしい歌だから、というのが徹誠の言い分で、キリスト教の洗礼を受けながら僧籍に入って浄土真宗の僧侶となり、さらには社会主義者として部落解放運動や労働運動で活躍した彼らしい、どうにも飛躍した言葉なのだけれど、それでいて相手をついついその気にさせてしまう重みもある。
 岩戸山のコックピットの一環として上演された、十中連合×the★planktonsの『ある訣別』を観ながらふとそんなことを思い出したのは、作・演出の渡邉憲明が、かつての植木徹誠と同様、三重県内で僧籍にある(宗派は同じかどうか不明)ことに加え、作品そのものが「お芝居という形の説教」であるように、僕には思えたからだ。

 『ある訣別』は、大きな川を東から西に渡っている船中のコックピットという設定からしてそのことは明確だが(ただし、前回の『この世界は、そんなに広いのですか』と同じく、そこには我々が直面する大きな社会的問題が重ね合わされている)、渡邉君が日々向き合っているだろう、生と死、死と生の問題(死生観、人生観、宇宙観)が如実に反映された内容となっていた。
 と、こう記すと、それこそ「説教臭い」作品なのではと疑うむきもあるかもしれないけれど、そこはお芝居であり、狂騒的ですらある演劇的な仕掛けや細かい伏線(マリオの映像やaikoの歌その他)が多々施されている。
 正直、そうした仕掛けや筋運びに粗さを感じたことも事実であり、如何に作品の精度を高くしていくかがこれからの大きな課題であるとも思ったが、一方で、渡邉君の作品世界や創作姿勢には強く好感を覚えた。

 わたしゆくえ、葛井よう子、篠塚ノリ子、伊藤翔太郎(独特の軽味)、榎本篤志(テンション高し。作品前半の狂騒性をよく体現していた)、葛川友理は、ライヴ特有の傷はありつつも、渡邉君の意図を汲む努力を重ねていたと思う。

 いずれにしても、渡邉君と十中連合×the★planktonsの活動をこれからも応援していきたい。
 まずは、次回の公演がとても愉しみだ。
posted by figarok492na at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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