2013年08月26日

飴玉エレナ vol.5『夏蜘蛛』

☆飴玉エレナ vol.5『夏蜘蛛』

 出演・演出:山西竜矢
 脚本・共同演出:石井珈琲
 演出補助:藤澤賢明
(2013年8月25日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)

*劇団からのご招待


 前々回の公演『記憶のない料理店』について、僕は飴玉エレナ・山西君の一人芝居を、確か飴玉ならぬガラス玉と譬えたが(ただし、京都学生演劇祭での公演の感想で)、今回の『夏蜘蛛』は、あえて玉に傷をつける作業が施されていたと評することができるのではないか。
 山西君の演技そのものもそうだし、笑いの仕掛けとしても、これまでの怜悧さモノマニアックな姿勢が抑制された作品づくりとなっていた。

 数年ぶりに郷里(ちなみに、山西君、石井君ともに郷里は香川とのこと)へ戻った三村知樹は、ひょんなことからかつて出会ったある人物に関して調べ始める…。
 という具合に物語は進んでいく。
 古いフランスの映画、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帖』形式、と言ってもわかりにくいかな。
 最近リメイクされた、有吉佐和子原作のテレビドラマ『悪女について』のように、ある人物ある出来事を追って、次から次へと「証言者」が入れ替わるというスタイルがとられていたのだけれど、それに従って山西君の一人芝居のあり様もこれまでの作品とは大きく異なるものとなっていた。
 つまり、前回までの落語のようにその場その場で役を演じ分ける方法ではなく、場面ごとに一人ずつ役を演じる方法だったのだが、キャラクターの造り込み演じ分けが見物であることが今まで通りとして、主人格にあたる三村知樹を演じる際に、自然といえば嘘になるものの、普段の山西君の一部、素と演技のあわいが巧く出されていた点が、僕には興味深かった。
 そして、今回の演技のスタイルもあってだろう、観客に対して細かく視線を動かす山西君のくせが、あまり出ていなかった(気にならなかった)こともやはり付け加えておきたい。

 例えば、数年ぶりに郷里に戻るに到るきっかけ(三村知樹の「記者」という職業との兼ね合い)や、そのきっかけに呼応するような郷里での無為の時間など、より丁寧に書き加えて欲しい部分や、逆にもっと刈り込んでもよいのではと感じられた部分もありはしたが、郷里・家族と自分自身の関係性、切実さや時間のかけがえなさがストレートに描かれた作品全体には好感を抱いたし、心を動かされもした。

 終演後、同じ回を観た人たちと話しをしていて、山西君はあまり同じ作品を繰り返すのは嫌なんじゃないかと指摘され、確かにそうかもなあと納得しつつも、より練り上げた形にした上で(場合によっては、香川の言葉がもっと出てもいいだろう)、三年に一回ぐらいのペースでこの『夏蜘蛛』を再演してみてはどうかと考えたりもした。
 ライフワークとまではいかないにしても、30歳ぐらいまでのよいレパートリーになると思うんだけど。
 そうそう、以前の感想で海外に云々かんぬんと記したことの続きで、飴玉エレナは能の『谷行』や『隅田川』を下敷きにした作品に挑戦してみても面白いんじゃないかなあ。
 ブレヒトが前者を『ヤーザーガー(イエスマン)』と『ナインザーガー(ノーマン)』に、ブリテンが後者を『カーリュー・リヴァー』に仕立て直しているから、海外でもけっこう知られた話のはずだ。

 いずれにしても、ああ、面白かった!
posted by figarok492na at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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