2013年01月20日

fukuiii企画『蟲を解放つ。』

☆fukuiii企画『蟲を解放つ。』

 脚本・演出:福井俊哉
(2013年1月19日18時30分開演の回/京都芸術劇場studio21)


 もうかれこれ8年ほど前になるか。
 劇作家・演出家としても小説家としてもブレイク少し前の本谷有希子が、オールナイトニッポンのパーソナリティーを1年ほど務めていた時期があった。
 その後の活躍を考えれば、彼女をパーソナリティーに起用した人物はなかなかの慧眼の持ち主だと敬服するのだけれど、同じくパーソナリティー経験者の演劇人鴻上尚史をゲストに迎えての第1回目の放送など、あまりのアップアップ具合に、なんとも言えない危なかしさを感じたものだ。
 もちろん回を重ねるごとに、初回のようなスリリングな状態は脱していったものの、結局最終回まで、ある種の座りの悪さとどこか嘘をついている感じ(虚言癖やごまかしという意味ではない)はぬぐえなかった。
 で、彼女の一連の作品に目を通し、皮膚の下を悪意がゆっくりと這いまわっているかのようないーっとなる感じや、それをどこかで冷たく見放しているかのような底意地の悪い感じに、さもありなんと大いに納得がいったのだった。

 と、こう枕をつけると、まるで本谷有希子との関連性を云々かんぬんしたいのかと勘違いされそうだが、全くそういうことではなくて。
(いや、痛おかしさ痛滑稽さという点では『蟲を解放つ。』と本谷有希子につながるものはあるかもしれないが。言いたいのは、結果につながるものはあっても、というやつだ)
 福井俊哉を中心とした京都造形芸術大学 舞台芸術学科3期生の卒業制作公演、fukuiii企画の『蟲を解放つ。』を観てまず思ったことは、やはり創作物というものは、造り手の人となりを体現するものなのだ、ということだった。

 蟲。
 虫が三つ集まるだけで、なんと禍々しいことだろう。
 タイトルからして、何やらおぞましい世界が舞台上に蠢きそうだ。
 冒頭のモノローグも、観る者を苛立たせ、いーっとさせるような入りだぞ。
 さて、どんな気色の悪い物語が展開するか…。
 そんな風に思っていると、そこから予想は見事に裏切られる。
 と、ここからは公演期間中ゆえ詳しくは記さないが、本来ならば救いようのない話ではあるし、実際、救いようのない劇世界がよく造り込まれているのだけれど、そこになんとも曰く言い難い、おかしさが見え隠れするのだ。
 もちろん意図して仕掛けられた笑いの種もあるのだが、それより何より、福井俊哉という劇の書き手造り手の持つ面白さ、人柄というか。
(そしてそれは、昨年5月にfukuiii企画が上演した『ニホンの狂育』をすぐに想起させる)
 正直、テキスト自体の再現という意味では、もっとねっとりどろどろくどくどと描き込む手もあるだろうし、逆に底意地の悪さ全開で全てを狂った笑いに塗り替えるという手もあるだろう。
 福井君とは別の人が演出を行えば、それこそ全く異なる像が生み出されることは想像に難くない。
 けれど、福井君の悪意の表出表現への意志と格闘は卒業制作として相応しいものだと思うし、そうした中でなお現れる福井君の向日性には好感を抱いた。
 こうした作業ののち、改めて福井君がどのような作品世界を造り出すか、僕にはとても興味深く愉しみだ。

 相原未来、石原慎也、生方柚衣、柿本沙希、椎名翔一、本間広大ら演者陣は、ギアの細かいチェンジが必要とされる作品ということもあって、その基礎的な能力技量の高さを想像させる演技を行っていた。
 残念ながら僕の観た回は、どこか上滑りしているというか、表面的に流れている感じもしないではなかったが、それは技術的巧拙と言うより、彼女彼らと作品の結構や描かれた事どもとの距離、齟齬が少なからず影響しているように思われた。

 いずれにしても、観に行っておいて正解の公演であり作品だった。
 福井君をはじめ、皆さんの今後のご活躍を心より祈願したい。
posted by figarok492na at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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