2013年01月10日

飴玉エレナvol.4『記憶のない料理店』

☆飴玉エレナvol.4『記憶のない料理店』

 脚本:石井珈琲
 演出:石井珈琲、山西竜也
 出演:山西竜也
(2013年1月9日14時30分開演/アトリエ劇研)

 *劇団からのご招待。


 京都小劇場で一人芝居といえば、なんと言っても、その後東京で落語家修業をはじめ、今では放送作家への道を歩んでいるハラダリャン出演で、「てんこもり堂」を旗揚げした藤本隆志のサポートによる一連の公演を思い出す。
 やたけたやさぐれ感とシャイさに満ちたハラダリャンと、細やかでかっちりとした組み立てを信条とする藤本さんの歯車は、毎回必ずしも完璧に噛み合っていたとは言い切れないけれど(それには、ハラダリャンの「のる」「のらない」という芸人気質も少なからず関わっていたと思う)、それでもひとたびツボにはまったときのハラダリャンのおかしさ面白さときたら、やはり忘れられないものである。

 一方、脚本・演出の石井珈琲と演出・出演の山西竜也による一人芝居劇団、飴玉エレナは、そんなハラダリャンと藤本隆志のコンビとは対照的に、計算されコントロールされ尽くした舞台を造り出す。
 第4回目の公演となる今回の『記憶のない料理店』の場合、しれっとした顔でおかしなこと言ってますといったスタイルの笑いの味付けもたっぷり行われていたが、全体的に観れば、リリカルな側面が勝った作品となっていたのではないだろうか。
 かえってわかりにくい喩えになるかもしれないが、東川篤哉の線かと思っていたら、実は中身は奥泉光に近かったと評してもいいか。
 はじめ違和感を覚えた登場人物の演じ分けも、あまりぶれを感じさせない山西君のコントロールのきいて繊細な演技をひき立てる意匠でもあると、充分に納得がいった。
 また、僕自身ならば「作中の人物」にも「演じさせる」という仕掛けを用いるだろうといった好みの違いはあるが、石井君の脚本も、狙いのはっきりしたわかりやすく受け入れやすい、山西君の演技のスタイルによく沿った内容となっていた。
 料理店という作品の設定に絡めて言えば、今現在彼らが持っている技術技量と、手にし得る材料(食器も含む)を使って、よく造り込まれた料理に仕上がっていたように、僕は思う。

 ただ、そうした点に感心する一方、何かが心に届かない物足りなさ、つかみようのなさを感じたことも事実だ。
 ある種のナルシズム(一般的に使われる言葉としてよりも、もしかしたら本来の語源のそれに近いか)といえば語弊があるかもしれないけれど、それは、舞台上で全てが自己完結している感じとでも言い換えることができるだろうか。
 加えてそれは、造り手の賢しさ、頭のよさ、計算のほどがどうしても先に見えてしまい、作品世界に巧く入り込めないもどかしさと言い換えてもよいかもしれない。
 たぶん、このことは、山西君がさらに多様な演技の素養を身につけ、石井君の書く脚本の「ドラマ」の層に厚みが加われば、必ず解消されていく問題だと思うし、コントを中心とした作品では、受ける印象も大きく変わるだろうとも感じたが。

 いずれにしても、飴玉エレナの今後の活動に注目するとともに、彼らによるとても自然に見える、その実、磨きに磨き抜かれ、考えに考え抜かれたとびきりの人工世界の誕生を心待ちにしたい。
posted by figarok492na at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック