監督・原作・脚本:新藤兼人
(2012年7月18日、京都文化博物館フィルムシアター)
小野良樹の『新藤兼人伝』<白水社>にも詳しく記されているが、新藤兼人は自らの実際の体験や経験を執拗なまでにその作品に投影し続けた監督であり脚本家であった。
劇団民芸のための戯曲『女の声』を映画化した、『悲しみは女だけに』など、まさしく新藤兼人の家族のエピソードを核とした、私映画とでも呼ぶべき内容となっている。
父親が他人の保証人となったばかりに多額の借金を抱えたため、なんとかそれを帳消しにすべく結納金と引き換えにアメリカに嫁いだ姉(田中絹代)が、30年ぶりに帰国する。
しかし、姉の奮闘も虚しく実家は跡かたもなく消えており、弟(小沢栄太郎)の一家は敗戦をきっかけにばらばらとなってしまっていた…。
と、いうような筋立ての中に、弟の娘息子(京マチ子、船越英二、市川和子)の置かれた現状やそこから発するエゴ、弟と前妻(杉村春子)との諍いや現在の妻(望月優子)との救いのないあり様、助産婦をやっている妹(水戸光子)の被爆体験(これも実際のエピソードであり、同じ新藤監督の『原爆の子』を想起させる)等が、巧みに盛り込まれていく。
もともと戯曲であること(登場人物の出し入れにもそれがよく出ている)を逆手にとった演出など、映像的な実験工夫も随所に見受けられるが、それより何より、登場人物たちの悲しみや苦しみ、弱さ、葛藤の中に、この国の抱えたあれこれが凝縮された形で表わされている点、言い換えれば新藤監督の私的な体験がより普遍的な問題と結び合わされている点に、僕は心動かされた。
(その意味でも、新藤兼人がシナリオを書いた川島雄三監督の『しとやかな獣』と通底するものを強く感じた)
役者陣は、上述した人たちのほか、宇野重吉、殿山泰司、見明凡太郎らが出演している。
田中絹代の存在感と、小沢栄太郎たちの達者さ(初老に近づいている小沢さんの場合、ときに達者さが先に来ている感じもしなくはなかったが)が強く印象に残った。
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