監督:中平康
原作:石原慎太郎
脚色:石原慎太郎
音楽:佐藤勝、武満徹
(2012年1月11日、京都文化博物館フィルムシアター)
あれは高校何年生のときだったか。
たまたま両親が留守をした土曜日の深夜、中平康の遺作(映画としては)『変奏曲』がテレビで放映されるということを知った僕は、すけべ心を胸に喜び勇んでチャンネルを回したのだが。
いやはやなんともはや、どよんどよんとした気分に陥って、女性の裸やセックスの場面を観さえすれば興奮するなんてもんじゃないや、と自分の迂闊さを悔いたものだ。
そして、中島敦の『山月記』ではないけれど、過ぎたるは及ばざるが如し、才智に長け過ぎるのも考えものと、高校生心に痛感したものである。
まあ、それはそれ。
中平康にとって出世作、というか彼の映画人生のうちもっとも有名な一本となる『狂った果実』を久しぶりに観てきたのだが、この作品、記憶していた以上に面白かった。
石原裕次郎の若々しさ(その美声ぶりも愉しめる)、北原三枝の美しさ(ただし、この人は本当はもっと中性的な役柄のほうが合っているのではないか)、衝撃的なラストは記憶のままだったのだけれど、そこに到る道筋というのが、後年のコメディーを彷彿とさせるような細かいくすぐり(例えば、石原慎太郎と長門裕之がお互い「長門」と「石原」と名前を取り替えてのカメオ出演や、裕次郎津川雅彦兄弟のボートの名前が「SUN SEASON=太陽の季節」であるとか、近藤宏の使い方とか)も含めて、よく出来ている。
また、津川雅彦がこの頃から鬱屈した役回りを演じていたことや、岡田真澄がけっこう重要な存在を占めていたことにも気づかされた。
一方で、石原慎太郎らしい傲慢さ、青臭さ、マチズモ、反米的な思考も散りばめられていて、ああ三つ子の魂百までだなあ、とまたぞろ思ってしまったことも付け加えておきたい。
(憎まれっ子世にはばかる。ある種の鈍さ、傲慢さは長生きの秘訣かもしれないな、と思ったりもする。中平康と比較しても)
そうそう、京都文化博物館フィルムシアターのプログラムでは、兄弟の父親役が芦田伸介となっているが、実際は深見泰三が演じている。
たぶん当初発表されていたキャストから変更になったものだろう。
*追記
本当は、「カインとアベル」の話を皮切りに、慎太郎裕次郎兄弟(慎太郎の『弟』も含める)のことや、長門津川兄弟のことについて詳しく書いてみようかとも考えたのだが、きちんと文章をまとめる自信がなかったので、ここでは断念することにした。
機会があれば、いずれまた。
【関連する記事】

