2012年01月04日

自由学校(松竹版)

☆自由学校<1951年、松竹大船>

 監督:渋谷実
 原作:獅子文六
 脚色:斎藤良輔
(2012年1月4日、京都文化博物館フィルムシアター)


 「ぼくは名作だけは作らない」という言葉*1を口にした渋谷実は、苦くて重たい喜劇の作り手として知られたが、獅子文六(岩田豊雄)の朝日新聞連載小説を映画化した『自由学校』も、そんな渋谷監督らしい一本となっている。
 敗戦後の大きな混乱と変化の中で、「自由」とはなんぞやと迷い悩んだ末会社を辞めた五百助(佐分利信)は、妻駒子(高峰三枝子)から家を追い出され、ひょんなことから浮浪者生活を始める。
 一方、駒子は駒子で様々な男たちから言いよられ…。
 という大きな展開の途中途中に、獅子文六らしいスラプスティクでシュールなくすぐりが盛り込まれつつも、観終わって感じたのは、ああ世の中ままならないもの、とかくこの世は生きにくい、さりとて死ぬにも死にきれぬ、ならば明日も生きていこうか、ということだった。
 そして、「戦後派にはなれず、かといって昔の女でもいられない」といった趣旨の駒子の台詞(それをさらっと言わせているとろも渋谷監督らしい)こそ、そうした作品の世界観、さらには戦前の松竹大船調のスタイルと戦後の新しい潮流が混交してちょっとぎくしゃくとした感じのする渋谷実の造形を端的に表わしているのではないかとも思った。

 役者陣では、まずもって佐分利信か。
 五百助という人物のもっちゃもっちゃとしていて、それでいてなんともやるせない心情がよく表現されていて、実にしっくりくる。
 あの色川武大も記しているが*2、佐分利信のあの顔、あの表情には本当に心魅かれるなあ。
 一方、この『自由学校』の高峰三枝子には、初めて美しさというか、女性としての魅力を感じた。
 無理から気丈な女性を演じているような気がしないでもなかったものの。
 ほかに、手塚治虫が『リボンの騎士』のモデルにしたというエピソードを彷彿とさせる淡島千景のアプレっぷりや佐田啓二らしからぬイカレポンチっぷりも印象に残ったし、三津田健、杉村春子、東野英治郎、小沢栄(太郎)、清水将夫、望月美恵子、中村伸郎、龍岡晋、高橋豊子、笠智衆、十朱久雄、高屋朗(彼についても、色川武大は一文ものしている)といった脇を固める人々の出演も愉しい。
 特に、獅子文六(岩田豊雄)らが、もともと彼女とその夫友田恭助のために文学座を設立した田村秋子の演技(杉村春子への影響も垣間見える)に接することができて、僕はとても嬉しかった。
(あと、歌右衛門丈の『京鹿子娘道成寺』が挿入されていることや、東京のカオスな状況を描くシーンで伊福部昭の音楽が急にSF調のアレグロ・バルバロ風に変化したことも、個人的には嬉しかったなあ)


*1 小林信彦『人生は五十一から』<文春文庫>、「ある<戯作者>の死」より。なお、ここでは渋谷実の弟子である前田陽一の死について語られている。

*2 色川武大『なつかしい芸人たち』<新潮文庫>、「いい顔、佐分利信」
posted by figarok492na at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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