2011年12月24日

月面クロワッサンVol.3『望遠鏡ブルース〜秋・冬篇〜』

☆月面クロワッサンVol.3『望遠鏡ブルース〜秋・冬篇〜』

 脚本・演出:作道雄
 音楽:高瀬壮麻
(2011年12月23日、アトリエ劇研)


 11月の春・夏篇を観て、さてこの連作を作道君はどう締めくくるのだろう、あの手を使うか、この手を使うか。
 いくつか自分なりの解答を予想して迎えた月面クロワッサンのVol.3『望遠鏡ブルース 〜秋・冬篇〜』だったが、ラストの冬篇を観ながら、そんな自分の予想などどうでもいいやと思うようになっていた。
 いや、本当のところを言うと、冬篇の展開は僕が予想した解答のうちに含まれるものではあったし、そう持ってこられると、ほかの春夏秋のあれやこれやの穴も巧く説明できるようになってしまうんだよな、とちょっぴり感じたことも事実なのだが。
 でも、僕はこういうリリカルな作品にめっぽう弱くって、七難八難思いっきり目をつぶってしまう。
 高瀬壮麻の音楽も、この冬篇に特にぴったりだったのではないか。
(もしかして、この冬篇のアイデアがいっとう先にあったんじゃないのと、終演後作道君に尋ねたら、やっぱりそうだった)

 こう書くと、客席がわきにわいた秋篇はどうなのかと聴かれそうだが、もちろん作道君の笑いに関する計算の高さ仕掛けの巧さは認めるし、丸山交通公園ほか演者陣も大健闘していたのだけれど、三谷幸喜ばりのシットコムを狙うのであれば、あともう少しだけ展開の綿密さというか細やかさがあればと、僕は思ったりもした。

 で、ここからはあくまでも僕の勝手な物言いなのだが。
 京都学生演劇祭の第0回公演から、この秋・冬篇と4回の月面クロワッサンの公演を観て、作道君の本質は、冬篇のような抒情的で、それでいてウェットに過ぎない散文的な世界にこそ十二分に発揮されるのではないかと僕は感じた。
 確かに、上述した如く、作道君は笑いの骨法をよく心得ているし、また自身、そのことに自信や自負を抱いているだろうことも想像に難くはない。
 けれども、それが高じると、技のための技、手のための手(しかも、ベトナムからの笑い声のような笑いのための笑いとはならない)の部分が必要以上に目立ってしまうおそれもなくはない。
 実際、『バイバイセブンワンダー』や今回の『望遠鏡ブルース』には、過度に笑いを組み込もうとして無理が生じているように感じられた部分が少なからずあった。
(喩えるならばそれは、キャンドルライトこそもっとも相応しい内装であるはずの室内を、蛍光灯で煌々と明るくしているような感じというか。いっそ三島由紀夫のようにシャンデリアで輝かせるという手もあるが、それは作道君の好みとはずれているだろう)
 単に対お客さんという理由からだけではなく、(村上春樹がそうであるように)作道君がかつて大切な誰かを失って、そのことを表現するためのバランスから笑いを重視しているというのであれば話しはまた別だが、もしそうでないのなら、過度な笑いの技・仕掛けはあえて封印してみせてもいいのではないだろうか。
 封印してもなお、笑いの要素に満ちた作品が完成したのであれば、それこそ作道君が本当に創り上げたい劇世界だということになるはずだし。

 演者陣は、演者ごとの特性技術の長短はありつつも、秋冬篇ともども登場人物のキャラクターによく則した演技を心がけていたと思う。
 また、受付等、表方のスタッフワークもきっちりとしていて、好感が持てた。

 二ヶ月連続公演を通して、作道君をはじめ月面クロワッサンの面々が得たもの、学んだことは少なくないのではないか。
 来年6月予定の次回公演を心待ちにしたい。
posted by figarok492na at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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