2011年12月07日

レジェンド・オブ・企画『ゴジラ』

☆レジェンド・オブ・企画 復興支援プロジェクト VOL.1『ゴジラ』

  作:大橋泰彦
 演出:水上竜士
(2011年12月6日、京都造形芸術大学高原校舎Bスタジオ)


 その他諸々の創作物と同様、戯曲にも「時代の制約」が付きまとう。
 特に戯曲の場合は、題材をはじめ、細かい仕掛け、くすぐりにまで時事的要素が絡んでくるし、作品全体の持つ空気感も当然、その作品が書かれた時代を反映したものとなる。
 これがシェイクスピアやモリエールともなればまだ大きな過去としてなんなりと切り結び方、処理の仕方もあるのだけれど、つい二、三十年前の作品ともなると、今と昔のずれというものが微妙な上に生々しい分、扱いに苦心する。
 実は数年前に、諸般の事情から大橋泰彦の戯曲『ゴジラ』を何度も読み返す機会があって、そのときもこの時代の制約、近過去の処理をどうするか、大いに頭を悩まされたものである。
 今回、京都造形芸術大学の映像学科生の面々が、東日本大震災の復興支援プロジェクトの一環として被災地東松島市で『ゴジラ』の公演を行うと知って、まずはその意気に大きな拍手を送るとともに(理由はあえて省略する)、ならば上述したような時代の制約、近過去の処理はどうするのだろうと、僕は非常に興味深く思った。

 それで、京都造形芸術大学の高原校舎まで昨夜足を運んだわけだが、よい意味での力技というか、演者の発する激しいエネルギーでもって、そうした作品の持つ急所急所を巧く吹き飛ばしていたように僕には感じられた。
 細かいことを言い出せば、確かにいろいろと言えないこともないのだけれど*、笑わせどころ泣かせどころをよく心得たテキストと、1980年代後半を彷彿とさせる過剰でスピーディーな造形があいまって、どんどんそんな細かいことなど気にするなよという気分になってくる。
 音楽や照明等、ちょっとテキストにつき過ぎかなと感じた部分もないではないが、初めてこの作品に接するお客さんが少なくないだろうということを考えれば、その配慮も充分に納得がいく。
 ライヴ特有の傷や役の軽重による巧拙はありつつも、演者陣は演出の意図によく沿って力演熱演を披歴していたのではないか。
 個人的には、台詞を発している演者以外の演者の表情や表現も愉しむことができた。

 いずれにしても、観終えて面白かったと思うことのできる、脚を運んで大正解の公演だった。
 そして、東松島市での公演の成功を心より祈願したい。



*もしこれが映像作品であれば、たぶんもっと細かい点が気になって仕方がなかったろうと思う。
 そういえば昔、辻吉之助久子父子を描いた樋口可南子主演の『弦鳴りやまず』というドラマで、それまで比較的時代設定(昭和初期)に沿ったセットなりなんなりが使用されていたのに、突然当時の服装を着た人々が現在の信号機のある横断歩道を歩いているという興醒めのシーンが挟まれて、「とんでもはっぷんな」と中学生心にがっくりしたことがあったっけ。
posted by figarok492na at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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