2011年11月27日

月面クロワッサンvol.2『望遠鏡ブルース 〜春・夏篇〜』

☆月面クロワッサンvol.2『望遠鏡ブルース 〜春・夏篇〜』

 脚本:作道雄
 演出:作道雄
 音楽:高瀬壮麻
(2011年11月26日、アトリエ劇研)


 結局、どうあがいてみたところで、表現するという行為は、自分自身を人前にさらけ出すことだ。
 しかしながら、そうは言っても、がばっともろ肌脱いでべらんめえ、真っ裸の素っ裸、一糸纏わぬ姿でストリーキングよろしく大声で喚きまくるというばかりでは能がないし、それじゃああんまりにも臆面がなさすぎる。
 だから、見物の皆々様に一喜一涙してもらいながら、ちらりずばりと自分の姿を拝んでもらおうと考える人間がいたって全く不思議ではない。
(「なんだよ、その思わせぶりな態度は!」、とけちをつけられることすら覚悟の上でならなおよろし)

 さしずめ、三谷幸喜など、そのちらりずばりタイプの中でも、もっとも才能があって、実際に成功をおさめている表現者の一人なのではないか。
 彼の戯曲はもちろんのこと、あの『古畑任三郎』や『王様のレストラン』から、はてはあの不人気極まった『総理と呼ばないで』に到るまで、三谷幸喜という表現者は、ウェルメイドな作風のそこここに自分自身の腹の中にあるあれこれを「これ見よがしに」しのばせてくる。
 まさしく、ちらずばリズムの天才だ。
(自らの母親への思慕の念をあからさまに表わした『わが家の歴史』は、二ール・サイモンのBB三部作との共通性や歴史観世界観の表明という意味でも、非常に興味深い作品である)
 そして、そうした三谷幸喜へのシンパシーをオープンにしている作道雄という表現者もまた、ちらりずばりスタイルを踏襲しているのではないかと、彼が脚本演出を手掛ける月面クロワッサンvol.2『望遠鏡ブルース 〜春・夏篇〜』を観ながら、ついつい思ってしまった。

 『望遠鏡ブルース』は、12月後半に公演予定の秋・冬篇と併せて、一台の望遠鏡が置かれたとある山の頂上を舞台に繰り広げられる四つの物語で構成された短篇集で、ミステリやサスペンス、SFといった要素がふんだんに盛り込まれた作道君らしい意欲的な作品となっている。

 で、その春・夏篇のまずは春篇だが、ストーリーの設定にいささか無理があるなあと思いつつも、三人の男性が一人の女性に恋心を抱いて…といった人間関係(舞台に登場しない女性とのエピソードは、もしかしたら作道君なりの京都ロマンポップの『幼稚園演義』への返歌かもしれない)も含めて、それこそ三谷幸喜的な展開で、作道君の柄に合っているというか、しっくりした感じで舞台を愉しむことができた。
 ただ、それより何より、この春篇で非常に印象に残ったのは、大田雄史演じる中村(偶然か、スーツ姿に眼鏡といういで立ちで三谷幸喜を想起させる)が、かつて挫折した映画づくりに関し、別の登場人物に「映画をやればいいじゃないか!」と背中を押される場面だった。
 それには、作道君がもともと映画畑の人間であり、今も映画に対して強い想いを抱いていることを僕が知っているということも大きいのだろうが。
 僕にはどうしてもこの場面が、作道君の自問自答のように感じられて仕方がなかったのである。
(このことと対照的なのが、夕暮れ社弱男ユニットの『教育』で村上慎太郎が小説家志望の青年を戯画化してみせたことだ。村上君がなぜに「演劇青年」ではなく、「文学青年」を選んだのか? それは、村上君が愚直なまでに真摯に演劇と向き合っているからではなかろうか)
 ライヴ特有の傷はありつつも、上述した大田君のほか、七井悠(作品の背景をよく踏まえた演技)、唐仁原俊博(柳川の公演でもそう感じたが、とても細かく丁寧に役作りをする人のように思う)と、演者陣は、作道君の世界観と作品の性質によく沿ったアンサンブルを生み出していたのではないか。

 一方、夏篇は、登場人物の台詞にもヒントがあったように、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を下敷きとしつつ、そこにSFのテイストを加味したスラプスティックでリリカルなビルドゥングス・コメディー…ということは充分理解ができたのだけれど、ううん、これは正直観ていて辛かったなあ。
 浅田麻衣の意表をついたキャスティングと硬軟はっきり分けた演技をはじめ、太田了輔、北川啓太、佐々木峻一、稲葉俊、キタノ万里の演者陣の力演熱演大健闘には大いに拍手を送るのだが、「中村のエピソード」のあとということもあって、作道君の笑いの計算、手練手管があまりにも透けて見えるような感じがして、どうにもあざというというか、いくらちらりずばりの流儀でいくにしたって、ここまで極端にやらなくてもいいのにと思ってしまったのだ。
 当然、こうした作道君の賢しさ、計算の立つ部分が月面クロワッサンの大きな強みになるだろうことも容易に予想はつく。
(実際、客席からは大きな笑い声が起こっていた)
 けれど、作道雄という表現者が演劇活動を続ける中で、きっとこうした部分を殺ぎ落としていかなければならない(言い換えれば、月面クロワッサンの熱心なファンの期待を裏切らなければならない)時期が早晩訪れるだろうことも、僕には予想がつく。
 そして、そうした作業を身を切る覚悟で行い続けている人こそ、三谷幸喜ではないのかとも僕は思う。

 いずれにしても、12月の秋・冬篇も愉しみにしたい。
posted by figarok492na at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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