2011年11月03日

shelf volume12『構成・イプセン −Composition/Ibsen』

 ニコラウス・アーノンクールという指揮者がいる。
 いわゆるピリオド・スタイルをヨーロッパに定着させた立役者の一人だが、彼の場合忘れてならないことは、単に作品が作曲されたのと同時代の楽器(もしくはレプリカ)を使用し、楽譜に書かれた音譜の忠実な再現を目指すだけではなく、楽譜に書かれた音譜のつながりに潜む文脈や劇性を見出し、当時の聴衆が感じたと同様の音楽的効果を現代の聴衆に与えるためには、ときに過剰過度ともとられかねない表現方法(音楽の強弱の激しい変化や極端な強調)を辞さない、非常にアグレッシヴな音楽家と評することができるだろう。
 そして、アーノンクールの演奏する作品の数々が、彼自身の切実な表現欲求と強固な問題意識によって選択されたものであることも付け加えておかなければなるまい。
 東京を中心に活躍するshelfにとって二度目の京都公演となる、volume12『構成・イプセン −Composition/Ibsen』(ヘンリック・イプセン原作、矢野靖人さん構成・演出)を観ながら、僕はふとそうしたことを考えた。
 むろん、音楽と演劇、指揮者と演出家、というだけではない違いの存在を僕とてわかっていないわけではないが、イプセンのテキストへの矢野さんの取り組み方と、アーノンクールの音楽家としてあり様には、やはり通底するものがあるように、僕には感じられてならない。

 まだ名古屋、静岡の公演が残っているので、あえて詳しい内容については触れないが、今回の『構成・イプセン −Composition/Ibsen』は、イプセンの『幽霊』に対して、矢野靖人という演出家・表現者がいったい何を感じ、何を考えたかがよく示された公演となっていたのではないだろうか。
 身体表現やエロキューション、アーティキュレーション等、いわゆる現代演劇の様々な表現方法を援用咀嚼しつつ、作品の急所や問題点、肝となる部分が丁寧に描き出されていく。
 そこには、批評的、かつ批判的な視点ももちろん忘れられてはいない。
 ときに、表現方法の選択にテキストとの必要以上の齟齬や無理、好みの違いを感じた部分もなくはなかったが、そうした部分も含めて矢野さんの積極的な姿勢には好感を覚えた。
 加えて、今回のテキストの選択が、ただ知的な興味関心からだけではなく、矢野さんの内面の切実なものと深くつながっているように思われた点も、深く印象に残った。
(shelfの公演では、役者陣の動きや照明など、どうしても視覚的な効果に注意がいくし、それが大きな魅力の一つでもあるのだけれど、ぜひ作品の展開や登場人物の発する言葉にもひときわ気をつけて欲しい。知識云々ではなく、あれ、おや、と途中で感じることがあればしめたものだ)

 川渕優子さんの役どころをはじめとしたキャスティングには充分納得がいったし、役者陣は矢野さんの要求に応えるべく、万全の努力を重ねていた。
 名古屋、静岡と公演を重ねることで、さらにアンサンブルに練りが加わるものと思う。

 いずれにしても、shelfの今回の公演によって、新たにイプセンに取り組みたいと感じる演劇人の登場を願うとともに、10年後、20年後の矢野さんが、再びイプセンの『幽霊』とどう向き合うかを心待ちにしたい。

 そうそう、忘れてはいけない。
 前回同様、今回も音楽と舞台との相性のよさ、つき具合のよさに感心したんだった。
 音響(ドラマツゥルク)は荒木まやさん。
posted by figarok492na at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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