☆『メランコリア』
独唱:パトリシア・プティボン
伴奏:ジョセプ・ポンス指揮スペイン国立管弦楽団
<ドイツ・グラモフォン>477 9447
大好きだったJUDY AND MARYの『クラシック』を聴いてため息を一つ。
ああ、JAMにとっての旬は、やっぱりOver Drive、ドキドキ、そばかす(含むステレオ全開)、クラシック、くじら12号の頃だったんだよなあと改めて思う。
そう、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、食べ物に旬がある如く、ジャンルを問わず芸術芸能芸事の世界にも旬があるのだ。
で、それじゃあ、パトリシア・プティボンの声の旬はいつだったんだろうと、彼女の新譜、『メランコリア』を聴きながら今度は考える。
何をおっしゃるうさぎさん、プティボンの旬は今じゃん、今中じゃん、あんたバカ?
と、呼ぶ声が聴こえてくるのもよくわかるし、芸の一語でいえばプティボンの旬はまだまだ今、それはこの『メランコリア』を聴けばよくわかる。
でもね、声の一語にかぎっていうとどうだろう。
これは彼女の大阪でのリサイタルを聴いたときにも感じたことだけど、プティボンの声の旬は、ウィリアム・クリスティとの一連のCD、フランスのバロック期のアリア集、そして『フレンチ・タッチ』を録音した頃にあったんじゃないかと僕は思う。
そして、プティボン本人もそのことをわかっているから、フランス・バロック期のアリア集でドラマティックな自分の歌の特質を試し出しし、あの『フレンチ・タッチ』のはっちゃけ具合全開に到った、言い換えれば、声そのものから歌での演技を一層磨くことにシフトするに到ったのではないか。
(その意味で、欧米の一流の音楽家たちがそうであるように、プティボンには相当優秀なブレーンがついているような気がする。むろん、彼女自身賢しい人だろうとも想像がつくが)
と、こう書くと、全てが計算づく、そんなのおもろないやん、と呼ぶ声も聴こえてきそうだが、計算がきちんとあった上で、なおかつその枠をはみ出すものがあるから愉しいわけで、『メランコリア』のトラック3。モンセルバーチェの『カンテ・ネグロ(黒人の歌)』やトラック6、ヒメネスの『タランチュラは悪い虫だ』など、プティボンの首が飛んでも歌って愉しませてみせるわの精神がよく表われている。
特に後者の「アイ!」の地声は、全盛時の篠原ともえを思い出すほど。
これだけでもプティボン・ファンにはたまらないはずである。
いずれにしても、『メランコリア』(表題作につながるバクリの歌曲集『メロディアス・ドゥ・ラ・メランコリア』はプティボンのために書かれている)は、詠嘆調の歌、官能的な歌、悲歌哀歌、おもろい歌を取り揃えてイメージとしてのスペインの光と影(なぜならヴィラ=ロボスのアリアやアフロ・ブラジルの民謡も含まれているので)を醸し出すとともに、プティボンの魅力持ち味が十二分に活かされた見事なアルバムだと思う。
ジョセプ・ポンス指揮スペイン国立管弦楽団の伴奏も堂に入っていて、歌好き音楽好きには大いにお薦めしたい一枚だ。
それにしても、JAMのファンとなるきっかけがYUKIのオールナイトニッポンで、あの番組では彼女のお茶目さと強さ、弱さ、心の動きがよく出ていてはまってしまったが、パトリシア・プティボンなどラジオ・パーソナリティーにぴったりなんじゃないか。
ただし、彼女の場合だと、中島みゆきのオールナイトニッポンのようになってしまう気もしないではないが。
(と、言うのは冗談。それはそれとして、プティボンのインタビューなどにも一度目を通していただければ幸いである)
2011年10月30日
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