2011年08月21日

tabula=rasa no.6 シリーズ:デッサン1『ベケットのいくつか。』

 高田ひとし君率いるtabula=rasaにとっては新たな試みとなる、シリーズ:デッサンの第一回目、『ベケットのいくつか。』(サミュエル・ベケット:テキスト、高田君演出)を観に、人間座スタジオまで行って来た。
(なお、シリーズ:デッサンは、簡素な舞台装置と短い期間で静物をスケッチするようにベケットを素描しよう、上演に至るプロセスを軽くし、古今の名作と言われる戯曲をやりまくろうという習作公演の試みだそうだ)

 そのタイトルからも明らかなように、『ベケットのいくつか。』は、短篇戯曲『わたしじゃない』を中心にベケットのテキストを構成し直したもので、断片的なテキストの反復変容、演者陣の舞台上での目まぐるしい移動等々、テキストとの距離の取り方や発語発話に対する高田君の意志が強く表われる一方、(だからこそ)率直に言って、観る者を愉しませ面白がらせる内容とは全く成り得ていなかった。
(むろんそうしたこと、高田君をはじめとしたtabula=rasaの面々が「おもろおかしい」舞台づくりを目標となどしていないことは、A4の用紙両面に細かい字がびっしりと書き並べられたチラシを目にすればすぐにわかることだろうが)
 個人的には、演出上の志向や嗜好、仕掛けや実験のそこここから、一種「気違いじみた」とさえ形容したくなるほど、高田君の内面の諸々、切迫感や焦燥感、激しい感情が噴き出していたように感じられた点が非常に興味深かった。
 高田君が、今後それをどう馴らしていくのか、それともあえて一層むき出しにしていくのか、とても気になるところである。

 また、崎田ゆかりさん、にへぇでびるさん、前田愛美さんの演者陣は、一ヶ月という限られた時間の中で、高田君の意図によく沿う努力を重ねていたのではないだろうか。
 ただ、高田君が実際に演出で求めたことだけではなく、高田君がとる演劇的スタイルに本来求められるだろうことと、個々の演者の特性や魅力、身体感覚の間にどうしても齟齬を感じてしまったことは付け加えておきたい。
(当然それは、今すぐにどうこうしろということではなく、中長期的な課題だとも思うけれど)

 あと、途中バッハのゴルトベルク変奏曲が効果的に使用されていたが、音楽が舞台に勝ってしまうきらいもなくはないことから、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番の第1楽章を使用しても悪くなかったのではないかと思ったりもした。
posted by figarok492na at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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