2010年04月29日

京都ロマンポップ・さかあがりハリケーンvol.2『君ノ笑フアノ丘ノ上デ僕ハ』

 帰省中、たまたまテレビでCSデジタルのお試しなんとかというのをあちこちザッピングしていたら、突然『オレたちひょうきん族』にぶつかった。
 どうやら、昔のバラエティ番組を中心に放映しているチャンネルらしい。
 正直、今となっては少々素人っぽ過ぎるというか、造りの雑さいい加減さにびっくりしたのだけれど、ビートたけしや明石家さんまのポストモダンを体現したかのような軽さの凄みには、やはり懐かしさとともに時流に沿った強い勢いを感じたりもしたのだった。

 で、そんなことを思い出したのは、今夜アートコンプレックス1928で観た、京都ロマンポップのさかあがりハリケーンvol.2『君ハ笑フアノ丘ノ上デ僕ハ』(向坂達矢さん作・演出)のどこかに、『オレたちひょうきん族』で演じられたコントと共通する何かを感じ取ったからかもしれない。
(なお、京都ロマンポップの公演を観るのは今回が初めて。前々から気になる団体ではあったのだが、これまでずっと観逃してきた。今回は、制作・情報宣伝で出演者の一人でもある浅田麻衣さんから連絡があり、喜んで招待していただくことにしたのだ。浅田さん、本当にありがとうございます)

 と、言っても、京都ロマンポップのほうは、作家で演出家の向坂さんが「無意味」と強調する割には、内容が重く、丁寧に考えられていて、しかも非常に親切な造りになっていたように、僕には感じられた。
(「あんなお下品でお下劣なことをやっていたのに!?」と眉を顰めるむきもあるかもしれないけれど、あの程度の内容で眉を顰めているようじゃ、以下省略。少なくとも、『京都かよ!』の『マラソロ』のようなおんたこ性by笙野頼子、がない分、僕は安心して観ていることができた)

 けれど、そうした作品の造り、世界観、京都ロマンポップの面々のまじめさ人柄の良さをわかった上で、いや、わかるからこそかえって、僕は今回の公演では、ほとんど笑うことができなかった。

 一つには、最前列にどこかの学生劇団の面々がずらりと陣取って、開演前の前説の段階から「あはあは」と大きな笑い声を上げているのにひいてしまったことも大きいのだが。
 それは、笑いの先を越されるというか、例えばベトナムからの笑い声の笑いがそうであるように、本当ならば「これって笑っていいのかな、でも、我慢できずに笑ってしまう」という順番があってしかるべきなのに、そういう心の抑制もなんにもなくただただだだもれ状態で笑ってしまう彼彼女らに冷め切ってしまったと言い換えてもよい。
(だからこそ、次回以降は、彼彼女らの度肝を抜くようなもっと不親切で辛くて苦い笑いを仕掛けてもいいんじゃないかと僕は考えたりする。なぜなら、京都ロマンポップは「大人」の団体だと僕には映ったから)

 ただ、僕が笑えなかったもう一つの理由は、もともとまじめで熱心な人たちが頑張ってコントをやっているという姿勢があまりにも透けて見えたように感じられたからでもある。
 一例を挙げれば、下ネタを演じる演者の照れややたけた加減が悪い意味で表われてきているというか。
 下ネタ自体を僕は否定しないが、それをやるならば、もっと徹底してクールにやってしまうか、逆に照れやまじめさを「売り」にしてしまうか、そのどちらかにすべきだろう。

 そういった意味で、演技の上手い下手とは別に、合田団地君の肩の力が抜けたような飄々とした自然っぽい演技に僕は二ヶ所笑ってしまったし、沢大洋さんがとちって(もし計算でそうしていたんだとしたら、凄い)緊張が一気に緩和した場面でもついつい笑ってしまった。
(もう一つ言えば、上演終了後の向坂さんの話もよかった)

 いやあ、笑いって本当に難しいな。

 とはいえ、今回の公演を通じて、京都ロマンポップという団体の底力、志向と嗜好、演者陣の人柄や特性、魅力は充分にわかったことも事実で、さかあがりハリケーン(コント公演)も含めて今後も接し続けていきたいと思う。
 まずは、9月の次回本公演を愉しみにしたい。
posted by figarok492na at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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