2010年04月24日

京都フィルハーモニー室内合奏団第170回定期公演

☆京都フィルハーモニー室内合奏団第170回定期公演

 指揮:大山平一郎
 独唱:晴雅彦(バリトン)

 会場:京都コンサートホール小ホール(アンサンブルホールムラタ)
 座席:1階3列22番(休憩前)、2階L列15番(休憩後)


 今は昔、大きいことはいいことだ! と気球に乗って踊り叫んだ御仁がいたが、高度経済成長期ならばいざしらず、いつもかつも馬鹿の一つ覚えみたくなんの考えもなしに大きいことばかり追い求めていても仕方がない。
 まして、手元不如意の折など身の丈にあった生活を…。

 なあんてことは全く関係ない、わけじゃないけど、シェーンベルクが第一次大戦後すぐに開催した「私的演奏会」のために室内アンサンブル用に編曲されたマーラーの『さすらう若人の歌』とブルックナーの交響曲第7番を京都フィルハーモニー室内合奏団が演奏するというので、北山の京都コンサートホールまでその定期公演を聴きに行って来た。
(なお、出演を予定していた村上寿昭がアイスランドの火山噴火の影響で帰国できず、急遽大山平一郎に指揮者が変更となった)

 で、まずは、ヴァイオリン2にヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、クラリネット、打楽器、ピアノ、ハルモニウム各1という編成の、シェーンベルク自身の編曲によるマーラーの『さすらう若人の歌』。
 実はこの編成による演奏は、クリスティアン・ゲルハーエルが歌ったCD<Arte Nova>を日ごろから愛聴していることもあって、ちっとも違和感を覚えない。
 フルオーケストラ版のような音色の厚みはないが、かえって音楽の持つ若々しさ、リリカルな性質が明確に示されているのではないかと思うほどだ。
 バリトン独唱の晴雅彦は、関西二期会を中心にオペラで活躍している人だけれど、ベストの状態ではなかったとはいえ、劇性に富んだ歌いぶりだったと思う。

 休憩後は、ハンス・アイスラー、エルヴィン・シュタイン、カール・ランクルの編曲によるブルックナーの交響曲第7番。
 こちらも、ヴァイオリン2をはじめ、ほぼ『さすらう若人の歌』と同様の編成(ただし、フルートと打楽器がホルン1に変わり、ピアノが2に増えている)で、「私的演奏会」自体が中断されたため実際に演奏されることはなかったとプログラムにはある。
 この室内アンサンブル版によるブルックナーの交響曲第7番も、確かリノス・アンサンブルが演奏したCD<CAPRICCIO>を以前一度だけ聴いたことがあるのだが、『さすらう若人の歌』のように聴き込んでいないこともあってだろう、正直、本来聴こえてくるべきものが聴こえてこないもどかしさ、なんともしっくりこない感じをそこここで覚えてしまった。
 もちろん、室内アンサンブルという編成だからこそ、ブルックナーの音楽進行の独特さや旋律(特に弦楽器の)の美しさ、抒情性を改めて認識することもできはしたのだけれど。
 大山平一郎と京都フィルハーモニー室内合奏団は、限られた時間で作品の持つ性格を的確に示すべく健闘していたが、ところどころアンサンブルとしてのまとまりに欠ける部分や個々の奏者に粗さを感じる部分があったことも残念ながら事実である。

 とはいえ、こうした珍しいプログラムでのコンサートを行った京都フィルハーモニー室内合奏団の積極的な姿勢に対しては、やはり高く評価すべきではないだろうか。
 今後も、室内オーケストラ、室内アンサンブルならではの面白いプログラミングを愉しみにしていきたい。

 つまるところ、大きいばかりが能じゃないってことなんじゃないのかな。
 いや、もちろん大きいものには大きいもののよさがあることは充分認めた上でのことだけどね。
posted by figarok492na at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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