2009年12月20日

峻別する力の必要性

 2009年も間もなく終わろうとしている。
 今年一年を振り返って痛感することは、自らの持つ物事を峻別する力の明らかな不足ということである。

 峻別する力。
 それは、自らの好みに合わずとも、自らが触れた対象、もの・ことの持つ魅力や水準、成果を高く評価する力と言い換えることができるかもしれない。
 逆にそれは、自らが親しいものであったとしても、つまらないものはつまらない、面白くないものは面白くない、水準が低いものは水準が低いと断じて憚らぬ力と言い換えることができるかもしれない。
 またそれは、何が自らにとって必要であり、何が自らにとって必要ではないか、何を付け加え、何を殺ぎ落とすかを見抜く力と言い換えることができるかもしれない。

 もちろん、他者を峻別するというのであれば、自らが峻別されることに対しても真摯であり、謙虚でなければならないということは、言うまでもない。
 そしてそれは、個人創作誌『赤い猫』をはじめとした自らの創作活動に止まらず、中瀬宏之という一個の人格に対する評価や批判、好悪の念を含んだものでなければ全く意味があるまい。
(当然、誰がどのような判断を自らに下したかについては、しっかり記憶しておかなければならないだろう)

 いずれにしても、与えられた人生は一回きりなのだ。
 惰性に流され、妥協を重ね、結果あれよあれよという間に一年を終えてしまうことほど虚しく馬鹿馬鹿しいこともない。
 来年こそは、もっと峻別する力を身につけていきたいと、心の底から強く思う。
posted by figarok492na at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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