作家の宮脇俊三は、かつて時刻表を「不言実行。桃李言わざれど、下自ら蹊を成す」と高く評価した。
旧国鉄の全区間走破、さらには最長片道切符の旅の断行と、いわゆる鉄ちゃんの大先達たる宮脇さんのことだから、そこは身びいきが一切ないとは言えないものの、データが命、データで勝負の時刻表のあり様には、確かに宮脇さんならずとも、ときに感嘆の念を抱かざるをえないことも事実である。
そして、時刻表ほどではないにせよ、世のムックや名鑑と呼ばれる類いの書物もまた、データが命であり、データで勝負すべきものだと、僕は思う。
特に、インターネットの普及にともない、大量の情報をスピーディーに入手することができるようになった現在では、なおさらのこと、しっかりと裏付けのとれた信憑性の高いデータの集積と提示が、ムックや名鑑と呼ばれる類いの書物には求められるはすだ。
そうした観点からいって、今日読み終えたONTOMO MOOK『最新 世界のオーケストラ名鑑387』<音楽之友社>は、残念ながら大きく不満が残る。
この『最新 世界のオーケストラ名鑑387』は、1990年代に発行された同じONTOMO MOOK『世界のオーケストラ123』を継承したもので、確かに掲載オーケストラ数は387と約倍増しているし、これまで詳しく語られることのなかったラテン・アメリカやアジア、中東、アフリカのオーケストラにも少なからぬスペースが割かれている。
だから、世界のオーケストラのおおまかな現状を把握し俯瞰するという意味では、それなりに適した一冊と評することができるだろう。
が、しかし、データの正確さ、掲載オーケストラの選択のバランス、編集の誠実さという意味では、やはり強い疑念を持たざるをえない。
まずもって、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの項目に、誤ってイギリス室内管弦楽団の解説が掲載されている点は単純なミスとしても、「世界のメジャー・オーケストラ50」に選ばれたシュトゥットガルト放送交響楽団が、「世界の主要オーケストラ210」に南ドイツ放送交響楽団をして再度選ばれているのは論外だし、本来NHK交響楽団の自主定期公演会場ではないオーチャードホールをその中に加え、N響から抗議を受ける形で『音楽の友』誌などに訂正記事が掲載されたことにも呆れかえる。
ほかに、フィルハーモニア管弦楽団の歴代指揮者の中に、同時期ロンドン・フィルの指揮者であったはずのクルト・マズアが加えられていたり、新日本フィルの定期公演会場からサントリーホールが抜けていたりと、細かいミスを言いだせばきりがない。
(オーケストラの本拠地=ホールについては、各オーケストラのホームページを丹念にあたれば、だいたいの見当はつくはずだ。ところが、相当数のオケの本拠地に関し、ただ都市名が書かれているだけというのは、いったいどういう了見か?)
また、個々のオーケストラの解説の文章に関しては、彼我の好みの違いもあるから、踏み込んで云々かんぬんすることはしないけれど、「世界のメジャー・オーケストラ50」などで、実演に接したことのない筆者がそのオーケストラの文章を担当している点は、やはり問題だろう。
そして、そもそもの世界のオーケストラ387、中でも「世界の主要オーケストラ210」を選択する基準には、非常に不信感を抱く。
(なお、目次によって、「世界のトップ・オーケストラ10」、「世界のメジャー・オーケストラ50」、「日本のオーケストラ31」は、浅里公三、諸石幸生、山田治生の三氏が選定したことがわかる。それじゃあ、「世界の主要オーケストラ210」は誰が選定したんだ?)
例えば、ザルツブルク・カンマー・フィルやザルツブルク・ユンゲ・フィルが選ばれているにもかかわらず、何ゆえ同じザルツブルクを本拠地にし、世界的にもより著名で活発な活動を行いレコーディング数も少なくないカメラータ・ザルツブルクが選ばれていないのか?
ストラビンスキー室内管弦楽団やパガニーニ室内管弦楽団が選ばれているにもかかわらず、何ゆえ香港フィルやヘルシングボリ交響楽団、スウェーデン室内管弦楽団、スタヴァンゲル交響楽団、マドリード交響楽団、スコットランド室内管弦楽団が選ばれていないのか?
ここからは邪推だけれど、上述したような問題が発生した原因の一つは、この『最新 世界のオーケストラ名鑑387』が、音楽之友社の編集部員によって直接編集・制作されたものではなく、木杳舎という別の会社に下請けさせたことにあるのではないかと僕は考える。
(さらに邪推を重ねれば、「世界の主要オーケストラ210」の選定には、前作『世界のオーケストラ123』に掲載されたオーケストラを中心に、残りは、ここ5〜10年間のレコード・イヤーブック巻末の「新しくレコードに登場した主な演奏家」のアンサンブルの項目に含まれた団体の中から、各レコード会社との兼ね合いで選定しておけという安易な発想が働いたのではないだろうか? それなら、パガニーニ室内管やイエヴレ交響楽団が選ばれても不思議ではない)
いずれにしても、この『最新 世界のオーケストラ名鑑387』のように、読者の幅が限定されるはずのムックや名鑑といった類の書物ほど、痒いところに手が届く気配り、「神は細部に宿る」という真摯な心構えが必要なのである。
むろん、現在の出版界の状況の厳しさはわからないわけではないが、「損して得とれ」という言葉もあるではないか。
コストパフォーマンスの削減を優先して、結果として中身の充実を疎かにした、『最新 世界のオーケストラ名鑑387』を、僕は買わずに読んで本当に正解だったと思う。
この本をお薦めすることは、僕にはできない。
2009年09月16日
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