2009年09月14日

1994年3月2日(欧州音楽日記24・最終回)

 ☆ヴェルディ:歌劇『リゴレット』公演

  指揮:ミケランジェロ・ヴェルトリ
  会場:ケルン市立歌劇場


 楽しみにしていたケルン市立歌劇場の『リゴレット』の公演を観に行ったが、うーん。
 一言で言うならば、「期待外れ」。
 多くを望み過ぎたのか?

 指揮は、『トスカ』で聴いたミケランジェロ・ヴェルトリ*1。
 今日のオーケストラはそれほど締まって聴こえなかった。
 ただし、大きなミス自体はなかったよう。
 演出は、アウグスト・エヴァーディング。
 ドイツでは有名な演出家の一人。
 トラディショナルではないが、奇をてらったものでもない。
 天井に向かって大きな鏡が斜めに据えられているので、舞台の人々の姿が反射して映し出されるという形になっているのが興味深いが、すでにハンブルクの『ラ・トラヴィアータ』も同様の趣向ではなかったかしら*2。

 ヴェルディの音楽自体は素晴らしい。
 第1幕のモンテローネの「呪い」、第2幕のジルダのアリア、男性陣の合唱、第3幕第1場のリゴレットのアリア、そして、女心の歌、四重唱、嵐の場面。
 ユゴーの作品が「政治的」な色彩の濃いものとすれば、ヴェルディは、それとともに人間の「運命」劇としての側面も強調したものと言えるだろう*3。

 で、このヴェルディ中期の傑作を演ずる歌い手や如何?
 残念ながら、どうも感心しなかった。
 まず、タイトルロールのバリー・アンダースン。声が重いのは悪くないとして、ところどころ枯れたりするのは?
 歌い方はがさつに歌っているわけではないのだが、何か深みが足りないと思った。
 身体にハンデキャップを持ちつつ、他者を笑わせなければならないリゴレット自身の人生と、ジルダという最愛の娘をけがされた父親の怒りを表わすには、もっと役柄への理解が必要なのではないだろうか?*4
 ジルダのヴァドヴァ。コロラトゥーラの技巧はクリアしていたし、第2幕のアリアなど大変だろうが、出だしが不安定なのが少し気になった。それと、声質自体、まだ厚みがないというか、音量の幅が狭い感じで好きになれない*5。
 マントヴァ公は、Namiro(もしくは、Ramiro)*6。小林一男を思い出した。高いところを出すのが大変で、ドミンゴやパヴァロッティの声を期待するのが間違いなんだろうけれど。
 スパラフチレのカンは、リゴレットが重いせいもあってか少し軽め。
 他も、あまりよい出来とは言えず。
 まあ、仕方ない*7。



*1:1993年11月14日のケルン市立歌劇場における公演。

*2:明らかに、吉田秀和の影響。

*3:ヴェルディの「政治性」、さらには『リゴレット』上演にまつわるエピソードを承知した上で、僕はやはりこう思う。

*4:偉そうな物言いだ。この頃からこういう感じ方考え方書き方をしていたのか…。

*5:本当に声の好みのストライクゾーンが狭いな、僕は。

*6:公演プログラムと、歌劇場に張り出されるキャスト表とで記載が異なっていたのだ。プログラムとキャスト表とを見比べていたおばさんと笑いながら話をした記憶がある。もしかしたら、ナクソスのオペラ録音に参加しているヨルディ・ラミーロだったかもしれない。

*7:結局これがヨーロッパ滞在時最後のオペラ(コンサート)となった。まあ、仕方ない。
posted by figarok492na at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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