2009年09月03日

1994年2月3日(欧州音楽日記14)

 ☆モーツァルト:歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』公演

  指揮:ハンス・ワラット
 管弦楽:デュッセルドルフ交響楽団
  会場:デュッセルドルフ・オペラハウス(ライン・ドイツ・オペラ)


 『コジ・ファン・トゥッテ』が上演されるというので、昨日に引き続きデュッセルドルフまで出かける。
 我ながら、よくここまで出かけると思うが、それでも遠出はほとんどしていない。
 ミュンヘン、ベルリン、パリ、チューリヒ。一度は足を運んでおかなければ…*1。

 さて、『コジ・ファン・トゥッテ』。
 ドイツに来てから、すでにケルンで非常にトラディショナルな上演を(それも大塚女史と一緒に)観たわけだが*2。
 デュッセルドルフは、これが超モダンな演出。
 ドン・アルフォンゾはホテルの支配人、デスピーナはメイド、そして4人の恋人たちはそのお客さんといったところ*3。
 ホテルで繰り広げられる「恋のあや」だが、私はそれほど違和感を持たなかった。
 イタリア語には疎くとも話の内容を知っているので、様々な細工には笑ってしまったほど。
 それに、ラスト。当然、ハッピーエンドとはならない。
 面白うて、やがて悲しき、恋愛の結末だ(確かに、元のさやに戻そうなんてねえ…)。
 ただ、イタリア語をはっきりと理解できれば、こうした演出への違和感は増すのではないかとも思う。
 古い日本語訳の公演でもまた然り。
 イタリアに超モダンな演出がそれほど出現しないというのも、この言葉の問題に突き当たるのでは?

 歌手陣。
 フィオルディリージのコク…*4。伯爵夫人でも観聴きした。この人は、何か顎に引っかかるような声で気になる。それと、低音が不安定。
 ドラベッラのラインホルツは、ケルビーノ、それから『ホフマン物語』のニクラウスで聴いたはず。美しい声だが、なんだか力強過ぎて、ズボン役のような歌い方になっている。それと、言葉をはっきりさせず歌い流してしまうのが一つの欠点。
 フェランドのマクリーンは、声の伸びが足りないし、第1幕のアリアなどでは、弱音で息切れに聴こえてしまった。
 グリエルモのブッシュは、美声。アリアもまあまあ。
 ドン・アルフォンゾのルンゲ。彼は、この演出にぴったり。声は良いとは言えないし、音も若干不安定だが、芝居としては最適。小林桂樹を柔軟にしたよう。
 デスピーナは、Marquez。「はすっぱでおきゃん」といったイメージを覆すデスピーナ。ポッペアなどを歌っているだけに、ちょっと威厳があり過ぎるところはご愛敬。芝居も達者で、メイド役、医者役、公証人役とも笑わせてもらった。そして最後も印象的。
 二重唱、六重唱などは、モーツァルトの音楽の素晴らしさに感じ入った。
 それと、フェランドの第2幕のカヴァティーナがカットされなかった点も可(ケルンではカット)。

 いろいろ文句は言えるし、これがモーツァルトの歌劇の最良の姿とは言えまいが、原語でまあこれだけの上演。
 日本ではいつになったら、イタリア語のダ・ポンテ三部作の上演が当たり前のことになるのか?
 もちろん、ドイツも田舎ではまだドイツ語での上演だけど。
 しかし、日本はあの東京でさえ…。
 二期会、藤原歌劇団、なんとかしてくれ。



*1:結局、ミュンヘン以外は行くことができなかった。

*2:1993年9月26日のケルン市立歌劇場における公演。指揮は、ジェイムズ・コンロンで、演出はAidan Langと公演プログラムにはあったが、もしかしたらジャン・ピエール・ポネルの演出を流用したものだったかもしれない。なお、大塚女史とは、現在立命館大学政策科学部准教授の大塚陽子さんのこと。大塚さんは同じ立命館大学大学院国際関係研究科に属していて、当時はイギリスのウォーリック大学に留学中。たまたまこの公演を観に来て、僕と遭遇したのである。

*3:ちょうど謝肉祭の時期ということで、カーナバル(カーニバル)の衣装を身に着けた群衆も登場していた。

*4:省略した形で名前を記していて、実際の名前は不詳。公演プログラムを見つければ判明するのだが…。
posted by figarok492na at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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