2009年08月28日

1994年1月20日(欧州音楽日記9)

 ☆プッチーニ:歌劇『トゥーランドット』

  指揮:ファビオ・ルイジ
 管弦楽:デュッセルドルフ交響楽団
  会場:デュッセルドルフ・オペラハウス(ライン・ドイツ・オペラ)


 デュッセルドルフのライン・ドイツ・オペラにファビオ・ルイジが来て『トゥーランドット』を指揮するというので、観に行って来た。

 演出は「なんだかなあ」という代物。
 現実と虚構の世界が悪い意味で混じり合っている。
 冒頭、老プッチーニが突然ティムールに早変わりし、物語が始まる。
 また第3幕では、現実にプッチーニが亡くなって筆の途絶えたところでティムール(プッチーニ)も亡くなり、一瞬間が空いて、楽譜が届けられ、カラフとトゥーランドットが二重唱を歌い出す。
 フィナーレのコーラスも楽譜を見ながら歌うというもので、意図はわからないでもないが…。
 大きなマスクの張りぼてが出たり、人民服の合唱、能面をつけた役人たちと、なんだかいびつな「中国趣味」で興を殺がれた。
 現代の中国の体制、もしくは文化大革命といったものをカリカチュアライズするのであれば、もっと徹底してやればいいわけであって、どうにも中途半端である。

 演奏自体は、ファビオ・ルイジの指揮ということで、多少先入観もあるかもしれないが、今までの2回*1と比較して、オーケストラが断然よかった。
 弦がしなやかに聴こえたし、力強さも充分。音楽として、しっかりまとまっていた。
 まずは、オーケストラということ。
(オペラでオケがよかった! というのもねえ…)
 歌手の中では、文句なしにリューのマッカーシー。美しい声をしているし、歌い方も受けを狙って声を張り上げるのではなく、丁寧に情感を込めて歌っていたように思う。
 あと、ピン、パン、ポンの三人組(ルンゲ、パンプフ、ミュラー)。
 ただのコミカルな役回りではなく嫌な部分も引き受けていたが、シルクハットに丸縁メガネ、鼻の下のひげにステッキと、往年の日本のコメディアンを観るかのようでおかしかった*2。
 声のほうも、よく出てるとは言えないが、その分よく動き回っていた。
 ご苦労様。
 主役の二人は…。
 カラフのシュミットは、最後まで大きな声を出していたが…。あまり好きな声ではない。声に柔らかみがない。
 トゥーランドットのハスも喉に詰めたような歌い方で、気になった。
 それに見栄えも…。嫌な女にはぴったりだが。
 でも、最後の二重唱などは、それらしい雰囲気になってきた。

 プッチーニの音楽が、単に「中国風」を狙ったものではなく、ワーグナーの影響等の受けた新しいオーケストレーションを行ったものだということを実感できた公演だったが、やはり演出・美術のグロテスクさには最後まで「?」マーク。



*1:児玉宏指揮の『フィガロの結婚』(1993年10月24日)と、ウォルター・E.グーガバウアー指揮の『ホフマン物語』(1994年1月2日。ちなみに、これはドイツ語による上演)の2回。

*2:って、今にして思えば、これはグルーチョ・マルクスじゃないのか?
posted by figarok492na at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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