2009年08月26日

1994年1月18日(欧州音楽日記7)

 ☆フィルハーモニア管弦楽団デュッセルドルフ公演

  指揮:ジュゼッペ・シノーポリ
 管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
  会場:デュッセルドルフ・トーンハレ


 フィルハーモニア管弦楽団がシノーポリの指揮で、シェーンベルクとマーラーを演奏するというので、デュッセルドルフまで行って来た。
 フィルハーモニア管(それからシノーポリ)の評判がこちらではそう高くないことも知っていたし*1、山本さんたち*2の話も聞いてはいたが、日本で聴くより安いのだからと足を運んだ。
 が、出かける前にシャワーのことでイライラしていたこともあってか(いつもの汚い使い方をする大馬鹿男!)*3、結局最後まで興に乗れずじまいだった。

 座ったところが平土間の真ん中あたりだったせいか、音が裸のままで聴こえるといった感じ。
 マーラーのときには、金管や打楽器の音が頭の上を通り抜けていくようでさえ…。

 まず、シェーンベルクの浄められた夜。
 去年のマリナー&シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏*4が、初々しさにあふれたものであるかのように聴こえたのに対し、今日の演奏は、もっと情念的。
 その言葉が抽象的に過ぎるとすれば、例えば強奏の部分で音をたっぷりと鳴らし、テンポを遅めにとったりするなど。
 ただ一つ間違うと粗雑で猥雑にもなりかねない。
 フィルハーモニア管の弦は、個々の奏者はそれなりの技術を持っているのだろうが、ピッツィカートをはじめ少しだけずれる部分が何箇所かあって気になった。
 一つは(ムジークフェラインと違って)ここトーンハレが、良く響きはすれけれども、重なり合うというより、個々の楽器自体が各々響いてしまう、聴こえてしまうというホールだからかもしれない。

 後半は、マーラーの交響曲第5番。
 トーンハレには少々大きな編成の曲。
 さて、シノーポリのマーラーといえば、日本では評価が高いが…。
 最初のトランペットのファンファーレからして、何かもたついて聴こえた(ホールのせいもあってだろうけれど)。
 ただ第1楽章は、以前聴いた演奏(実演やレコード)の記憶と比較したりしながらあれこれ考えているうちに終わってしまった。
 第2楽章は、荒々しい。また弦のテンポのとり方鳴らし方が印象に残る。
 第3楽章は、ピッツィカートなどで少しずれが気になった。総体的に技術を持ったオケが、少しずつ少しずつ微妙にずれてしまうときほど聴きづらいこともない。
 第4楽章は有名なアダージェット。テンポもそれほど遅くなく、悪しき意味での「ロマンティック」に陥らなかったので、これはまあ良かった。
 そのまま終楽章に突入(実は、今回は、第1、第2楽章=第1部、第3楽章=第2部、第4、第5楽章=第3部という結構で演奏されていた)。
 「光が見えてくる」といった感のあるフィナーレで、ここではオケの粗さもそれほど気にならなかったが、最後まで興に乗ることはできなかった。

 と、言うことで、拍手もせずに席を立った。
 でも、嫌な思いをさせたくてやったわけではないのです。早く帰りたかったし。列車の都合で。ケルンまでの列車が、夜は少ない!
 ただ一言。シノーポリは、精神医学をやっていて演奏も分析的どうのこうのと言われていたが(今も?)、果たしてどうなのか?
 人を酔わせるには自分から、ということかもしれないが、「笛吹けど踊らず」という言葉もある。
 座った場所も私のむしのいどころも悪かったのかもしれないけれど、もう少しオケをまとめてみては? と思わずにはいられなかった。
 それなりの技術を持ったオーケストラのはずだから。



*1:日本では、あの浅田彰らが熱心にシノーポリを熱心に支持していたが。

*2:欧州音楽日記5をご参照のほど。

*3:シャワー室(浴室)は共用のアパートだったのだけれど、浴室中水浸しにする馬鹿な住人(若い男)がいて、何度か後始末をさせられていたのだ。

*4:12月4日、ケルン・フィルハーモニーでのコンサート。このときは、演奏前に若い男性の俳優がデーメルの詩(浄められた夜の作曲の動機となった)を朗読した。また、エマニュエル・アックス独奏のリヒャルト・シュトラウスのブルレスケ演奏中(直前か直後)に中年の女性が意識を失ったが、彼女は亡くなってはいないと思う。
posted by figarok492na at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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