2009年08月20日

1994年1月7日(欧州音楽日記2)

 ☆デュッセルドルフ交響楽団定期演奏会

  指揮:ハンス・ツェンダー
 管弦楽:デュッセルドルフ交響楽団
  会場:デュッセルドルフ・トーンハレ


 今日はデュッセルドルフへ。
 ライン河沿いのUバーン*1、トーンハレ駅を降りるとすぐ目の前にトーンハレはあった。
 デュッセルドルフのシステムはコンサートも同じようで、学生証を見せると、全てのチケットが半額になるというもの*2。
 最初は様子見で、一番良いランクの席を購入。
 もともとプラネタリウムだったということもあって、それほど華やかさはない。なんだかこじんまりとしている。
 ホールの中も同様。客席数もそれほど多くないようだ。
 座ったのは、本当の平土間ではなく、少し斜め後ろのほう。

 今晩はデュッセルドルフ交響楽団の定期で、指揮はハンス・ツェンダー*3。
 作曲家でもあるツェンダーだけあって、プログラムはメシアンの『ほほ笑み』、自作の『jours de silence』*4、そしてベートーヴェンの第2番のシンフォニーというもの*5。

 響きは悪くなかった。大森さん*6から聞いていたように「良く響く」。
 ただし、その分粗も目立つのでは…。

 メシアン。
 モーツァルトへのオマージュという副題のつくこの曲だが、モーツァルトの引用などはあまりうかがえなかった。
 弦が中心となる部分と、管・打が中心となって強奏されるとが、ほぼ交互に現れる。
 どうも、「ずれているのでは」と感じられる部分があって、正直いってメシアンの繊細さは感じ取れなかった。

 つぎは、ツェンダーの自作。
 昨晩のツェムリンスキー*7と同じで、バリトンソロの曲。
 昨晩以上の作品(聴いていてあまり面白くない)。これは、もはや「美しく」歌うことが目的なのではなく、言葉と音をどう響かせるか? という現代的な実験に違いない*8。
 ソロのLe Roux*9は、急の代役。声が割れたり等々、大変だったろう。
 オケはそろっていなかった。
 この曲に対して後ろや、隣席のでかいおばはん(失礼)がブーを叫んだが、私*10にはそうする気はなし。
 もしオケの出来の悪さにブーイングならわかるのだが、そうではなかろう。

 休憩後は、ベートーベンの2番。
 ヴァイオリンは8、コントラバスは3など、昨今の流行を意識した編成。
 テンポのほうも全楽章を通して速いものだった。
 ただ、これは、「古楽器」の影響と言えるかどうか?
 ツェンダーの音楽性ではとも思う。
 オケの力量のせいか、何やらせわしなささえ。
 オケは、なんだかやぼったい。管も、そして弦もそろわない(楽器間、そして個々の奏者の鳴らせ方も)。
 ベートーヴェンは確かに「難しいんですねえ」。
 第4楽章−フィナーレがオペラの序曲のように聴こえたのは、オペラ・オケに対する偏見だろうか?

 ブーおばはんは、ベートーヴェンでは、首を動かして上機嫌。拍手も…。やはり、ただのコンサヴァティヴなだけ。
 不快なので、オケには悪いがさっさと席を立った*11。



*1:市街を走る電車のこと。Uバーンは本来地下鉄の意味。

*2:今回アップするコンサートの前に、何度かデュッセルドルフのライン・ドイツ・オペラを観に行っていたので、これはそのことを記している。僕は国際学生証を提示してこのシステムの恩恵に預かったのだが、オペラハウスの中で係りの男性に呼び止められ、再度学生証を見せるはめになった。当時の僕は、相当老けていたのだ。学生証を観たときの、係りの男性の唖然とした顔!

*3:ドイツ出身の指揮者。作曲家としても知られ、かつてNHK交響楽団や東京都交響楽団の定期演奏会を指揮した際も、自作『無字の経』を取り上げている。なお、ザールブリュッケン放送交響楽団を指揮した一連の録音がCPOからリリースされるなど、ツェンダーのちょっとしたブームが起こるのは、このコンサートから数年のちのことである。

*4:アンリ・ミショーの詩による。

*5:このコンサートから約1年のちの、1995年2月24日の京都市交響楽団第371回定期演奏会で、井上道義が『ほほ笑み』とベートーヴェンの交響曲第2番を取り上げているが、これは偶然か?
(余談だが、このときはシチェドリンの曲もやっていて、例の如く井上ミッチーの馬鹿踊り全開だった=褒め言葉ですよ!)

*6:ケルン日本文化会館で事務仕事をやっていた女性。本人が忙しいこともあり、会館の職員の人たちの依頼で、彼女の引っ越し時の電話線の開線工事に立ち会ったことがあった。また、引っ越しのパーティーに少しだけ顔を出した記憶もある。

*7:欧州音楽日記1をご参照のほど。

*8:この点に関しては、今は違う感想を持つような気がする。

*9:未確認だが、フランソワ・ル・ルーか?

*10:当時は、自分自身の一人称を「私」と記していた。

*11:京都小劇場界では、それこそ「保守派」と目されているらしい中瀬宏之だが、もともとはこういう嗜好・志向・思考の持ち主なのである。
posted by figarok492na at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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