☆モーツァルト:序曲集
リナルド・アレッサンドリーニ指揮ノルウェー国立歌劇場管弦楽団
2008年5月、ノルウェー国立歌劇場(オスロ)/デジタル録音
<naïve>op30479
鮨屋やおでん屋は、玉子でその味のよしあしがわかるというが。
さしずめ、オーケストラの演奏のよしあしは、モーツァルトの序曲でわかるんじゃないかと、僕は思う。
なんてことを書くと、またまた好き勝手なことを言っちゃって、「執筆業ですか。大丈夫ですか?」などといらぬ気遣いをさせそうだけど。
でも、モーツァルトの序曲の演奏を聴けば、その指揮者なりオーケストラなりの劇場感覚のあるなしや、音楽の本質のつかみ方の巧さ手際のよさ、弦楽器管楽器さらには打楽器のソロイスティックな魅力(もっと意地悪を言えば、演奏者たちの手の抜きかげん)がばっちりわかってしまうことも事実で。
あながち的外れなことを言っているつもりはない。
で、その伝でいけば、リナルド・アレッサンドリーニ指揮ノルウェー国立歌劇場管弦楽団によるモーツァルトの序曲集は、それこそアレッサンドリーニという指揮者やノルウェーのオペラのオーケストラの魅力や実力を十二分に示したアルバムになっていると評することができるのではないか。
『皇帝ティトゥスの慈悲』、『フィガロの結婚』、『魔法の笛』、『後宮からの逃走』、『劇場支配人』、『クレタの王イドメネオ』、『ポントの王ミトリダーテ』、『ドン・ジョヴァンニ』、『レ・プティ・リアン』、『バスティアンとバスティエンヌ』、『コジ・ファン・トゥッテ』という選曲自体はそれほど珍しいものではないとはいえ、各々の音楽の性質をよく踏まえた構成がとられていると思うし、『ティトゥス』や『フィガロ』、『魔法の笛』などの行進曲が収められている点が実に興味深い。
(アルバムの選曲や作品の解釈については、ブックレット中のアレッサンドリーニへのインタビューが詳しい。ここでは、ニコラウス・アーノンクールの影響などにも言及されているが、「簡にして要を得た」という言葉がぴったりのインタビュー記事になっている)
演奏は、ヴィヴァルディをはじめとしたバロック音楽を得意としてきたアレッサンドリーニだけに、打楽器の強調や弦楽器の独特なアクセントの付け方など、強弱のはっきりとした音楽づくりで、モーツァルトの序曲の持つ劇的な性格が明確に表されていると思う。
個人的には、本来「ささいなもの、つまらないもの」という意味のあるバレエ音楽『レ・プティ・リアン』序曲(トラック16)がやけに威勢よく鳴らされていたことと、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』第1楽章の第1主題に旋律がそっくりな『バスティアンとバスティエンヌ』序曲(トラック17)が、いつも以上に「それらしく」聴こえたことが面白くて仕方なかった。
また、ノルウェー国立歌劇場管弦楽団も、いわゆるピリオド奏法の援用に対して全く無理を感じさせない表現で、これまでのアレッサンドリーニとの共同作業が充実したものであったことを推測させるに充分な演奏内容だった。
歌劇場での録音ということもあってか、若干セッコな(乾いた)感じがしないでもないけれど、音質自体はクリアで聴きやすいものだから、作品と演奏を愉しむという意味では基本的に問題はないだろう。
特に、ピリオド奏法によるモーツァルト演奏に親しんだ人には大いにお薦めしたい一枚だ。
それにしても、このCDを聴くと、またぞろ彼と我との違いを痛感してしまうなあ。
どうしても。
2009年07月02日
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