☆モーツァルト:交響曲第12番〜第14番他
ハンス・グラーフ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
1989年&90年、デジタル録音
<CAPRICCIO>10 329
ライヴじゃなくて、CDという音の缶詰だからこそしっくりくるという演奏がある。
はじめて耳にしたときは、ううんと首を傾げ、ありゃりゃこれ外れかな、とがっくりきたりもするのだが、何度か繰り返して聴いているうちに、おやおやけっこういけるんじゃないのと耳になじんでくるようなCDの場合が、特にそうだ。
いろいろ事情があって今は手元にない、ナクソス・レーベルから出ている、ミヒャエル・ハラスがハンガリーのアンサンブルを指揮したシューベルトの交響曲などそのわかりやすい例だけれど、今回取り上げる、ハンス・グラーフとザルツブルクのオーケストラが演奏したモーツァルトの交響曲集も、そんな一枚に加えることができると思う。
このCD、確か、1991年のモーツァルト没後200年にあてこんで比較的短いスパンで録音された全集中の一枚ということもあって、演奏そのものは、正直すこぶる見事、というようなものではない。
よくいえば流麗だけど、ハンス・グラーフ(アーノンクールの代役としてウィーン国立歌劇場の『魔法の笛』来日公演を指揮したり、ウィーン・フィルの定期に登場したり、NHK交響楽団の定期公演も振ったりしたことのあるこの指揮者は、今どうしているんだろう? デンマークのオーケストラのシェフをやってるように記憶しているが、これは間違いかもしれない)の解釈は、いわゆるオーソドックスな、「シンフォニックに流しておきました」の典型だし、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団も、例えば、アイヴァー・ボルトンとの最近の録音ほどには目が詰まっていない。
でも、これが聴けばきくほど、耳になじんでくるのだからあら不思議!
まあ、これには、モーツァルトのこの頃の音楽が、彼らしいきらめきはありつつも、まだまだ円熟の閾には達していずに、同時代のヨハン・クリスティアン・バッハの交響曲なんかと比べると、やたらと饒舌に聴こえるのと関係しているのではないだろうか。
実際、ヤープ・テル・リンデンがピリオド楽器のオーケストラ、モーツァルト・アカデミー・アムステルダムを指揮した同じ曲の演奏を聴くと、作品の持つ仕掛けははっきりわかるんだけど、その分、煩わしさも強く感じてしまったりするもの。
つまり、「無欲」の勝利ってわけだね。
(誰だ、たなぼた式だなんて言ってる輩は!)
いずれにしても、個人創作誌『赤い猫』第2号の発行作業でわじゃこじゃわじゃこじゃしていた人間には、非常にありがたかった一枚。
真のモーツァルティアンじゃなくて、音楽を気軽に愉しみたいという人たちには大推薦だ。
なお、カップリングの交響曲第48番は歌劇『アルバのアスカニオ』序曲、交響曲第51番は歌劇『にせの女庭師』序曲によるものである。
2009年05月31日
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