☆ブラームス:交響曲第2番、大学祝典序曲
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル
1982年、デジタル・ライヴ録音
<DG>410 082-2
ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン、カルロス・クライバー、カルロ・マリア・ジュリーニ、ラファエル・クーベリック。
いずれも、僕が実演に接したことのない、そして、もしかしたら実演に接することができたかもしれない、今は亡き世界のトップクラスの指揮者たちだ。
中でも、レナード・バーンスタインの場合は、その最後の来日となった1990年7月のロンドン交響楽団大阪公演(フェスティバルホール)のチケットはきちんと手に入れていて、あとは彼の登場を待つばかりだったのだけれど、残念ながら体調不良でキャンセルとなり、結局バーンスタインの生の演奏に触れる機会は永遠に失われてしまった。
(なお、その際の代わりの指揮者は、当時ロンドン響のシェフだったマイケル・ティルソン・トーマスだったが、確か東京公演のほうでは一部の曲を別の指揮者=大植英次?が指揮することになって、ちょっとした騒ぎになったんじゃなかったか)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルの演奏したブラームスの交響曲第2番のライヴ録音を聴きながら思ったことは、まずそのことであり、音楽はやっぱり生じゃないとなあ、ということだった。
もちろん、今回取り上げるCDに収められた、レナード・バースタインとウィーン・フィルによるブラームスの交響曲第2番もまた、作品に対するバーンスタインの心の動き、感興が忠実に表された、実に「動的」でかつ「抒情的」な、聴き応えのある演奏に仕上がっていると思う。
(ここで注意しなければならないのは、バーンスタインがしっかりとした楽曲解釈の上でこうした演奏を行っていることで、あえてエネルギッシュという言葉を使わなかったのも、それが単純に「それいけどんどん」的なものと受け取られるのが嫌だったからだ)
また、カップリングの大学祝典序曲も、作品の持つ高揚感がはっきりと示されていて、非常に愉しい。
加えて、ウィーン・フィルの音色の美しさを存分に味わうことができるということも、このCDの大きな魅力の一つだろう。
ただ、だからこそ、そしてこの演奏が録音されたムジークフェラインザールの実際の響きの美しさを知っているからこそ、バーンスタインとウィーン・フィルのブラームスの交響曲第2番と大学祝典序曲を生で聴くことができていたら、とどうにももどかしい気持ちにもなるのである。
畢竟、CDは音の缶詰でしかない。
缶詰には缶詰なりの美味しさ、使い勝手のよさがあって、僕はたぶんこれからずっと音の缶詰に親しみ続けるだろうけれど。
でも、やはり音楽は生があってのものだということを思い知らされるのだ、こういう充実した内容のCDを聴けば聴くほど。
2009年04月19日
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