☆ベルリオーズ:序曲集
コリン・デイヴィス指揮ザクセン・シュターツカペレ・ドレスデン
1997年、デジタル録音
<RCA>09026-68790-2
ドイツ文学者で、音楽評論家としても知られる岩下眞好の熱烈な賞賛と熱心な支持にもかかわらず、この国におけるコリン・デイヴィスという指揮者の評価は、今一つ高まらない。
もちろん、クラシック音楽好き、特にオーケストラ音楽好きの人間ならば、ベルリオーズやシベリウスのスペシャリストとしてのコリン・デイヴィスの名前は一応記憶にあるはずで、最近のリストラ策でメジャー・レーベルからの新譜リリースはぱったり絶えてしまったけれど、現在でもロンドン交響楽団やザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンとのライヴ録音は定期的に発売されている。
それでも、あれやこれやの巨匠連と肩を並べるにいたっていないのは、もしかしたら、まさしくジェントルオメという言葉がぴったりと合うそのイギリス紳士的な風貌が災いしているのではないかとついつい思ってしまいたくなる。
僕自身は、バイエルン放送交響楽団と録音したベートーヴェンの交響曲第9番だけはしっくりとこなかったものの、大阪のザ・シンフォニーホールとケルンのフィルハーモニーで聴いたザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンとのコンサートや、ウィーン国立歌劇場で観聴きしたモーツァルトの『クレタの王イドメネオ』という、都合三度の実演全てにおいて、「よい音楽に接することができた」と大いに満足することができた。
中でも、ブラームスの交響曲を中心とした二回のコンサートは、軽重のバランスのよくとれたザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンの魅力も加味されて、よい意味で安定感抜群の内容だったし、ワーグナーばりのジークフリート・イェルザレムの気張ったタイトルロールには辟易したとはいえ、『イドメネオ』も、コリン・デイヴィスの劇場感覚と音楽把握の確かさが存分に示された公演だったように覚えている。
今回取り上げるベルリオーズの序曲集も、先述したようなコリン・デイヴィスとザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンとののコンビネーションのよさが十二分に発揮された録音となっているのではないだろうか。
このCDには、有名なローマの謝肉祭とちょっと有名な海賊のほか、宗教裁判官、ウェーヴァリー、リア王、『ベアトリスとベネディクト』、『ベンヴェヌート・チェッリーニ』の計8曲の序曲が収められているが、音楽そのものはどれをとっても同工異曲、というか、ベルリオーズの音楽に対する根源的発想のヴァリエーションで、よくも悪くも極端には変わり映えがするものではない。
ただ、そうした作品全てに通底するベルリオーズの個性や劇性を適切に押さえつつも、コリン・デイヴィスは個々の作品の性質の違いや、一個の作品内の表情の変化を巧みに描き分けていると評することができる。
また、例えばピリオド・スタイルの雄、ロジャー・ノリントンとその手兵ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏した宗教裁判官の録音を聴けば、ピリオド楽器のすっきりとした響きの中からベルリオーズの持つ毒っ気のようなものが滲み出てくるように感じられるのに比して、コリン・デイヴィスのアルバムでは、ベルリオーズのクラシック性(古典派的、と記すよりも、あえてこういう言葉を使ってみたくなる)がよりはっきりと表れているように思える。
そして、そこに、音色という意味でも、アンサンブルという意味でも非常に「音楽的」なザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンの存在が大きく貢献していることは、改めて言うまでもあるまい。
ベルリオーズの序曲を繰り返して愉しみたいという方には、フルプライスでも安心してお薦めできる一枚である。
そうそう、このCDの最大のネックは、RCAレーベルのつくり物めいてざらついた録音だと、僕は考える。
個人的には、聴いているうちにだいぶん慣れてきたけれど、それでも、ぺらくてざらくて薄い音だなという印象はどうしても払拭しきれていない。
ライナーやミュンシュの古いステレオ録音から、マイケル・ティルソン・トーマスの新しい録音にいたるまで、概してRCAレーベルの音質には親しみが持てないでいるが、せっかくソニー・クラシカルといっしょになったのだから、そろそろ悪しき伝統から脱却してはもらえないものか。
2009年02月27日
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