昨日記した「いかあられ」の一件が、『カルタ遊び』の一つの章にいか様に変容したか、アップしてみたいと思う。
筆入れをきちんと行っていないこともあり、稚拙陳腐極まりない文章である点に関しては、ひらにご容赦いただきたい。
(なお、文中、実在の人物や実際の出来事を想起させる部分があるかもしれないが、あくまでもこれは中瀬宏之の創作による、フィクションであることを明記しておく)
冗談じゃない。と、冬子は思った。
お前とはやってられない、お前といっしょに舞台に立つのはもうごめんだ。そう言って、劇団を去って行ったのはあっちのほうではないか。それも、こそこそこそこそと裏で仲間を募って。
確かに、あの騒動の起こる少し前から、劇団内に妙な雰囲気が漂っていることは、冬子もはっきりと感じていた。
楽屋をのぞいたら、それまで何か楽しそうに話していた二人が自分の顔を見るなり急に黙り込んだり、稽古のときに自分の小道具類だけが全く用意されていなかったり。
それも、一度ならず二度三度と。
それでも、まさかあんな風に中堅若手ばかりか、劇団を始めた頃からの団員までがこぞって退団するなどとは思ってもみなかった。
生れてこの方、あんな手ひどい仕打ちを受けたのは初めてだ。
それこそ、心臓が止まってしまうかと思うぐらいの衝撃だった。
そういえば、あの騒動を伝える新聞の記事には、演劇的芸術的思想の違いという言葉に加え、何がなんでも梅町冬子大事の劇団の体質に不満が爆発したとも書かれてあったが。
何が、何がなんでも梅町冬子大事の体質か。
そりゃ、時として自分が我がままを言い続けてきたことを冬子自身自覚していないことはない。
上演する台本を選ぶ際も、正直言って自分自身の力が十分十二分に発揮されるものを中心に選んできた。そして、自分がこれはと見込んだ俳優たちを進んで優遇してきた。
けれど、それは文豪座という劇団の行く末を案じてのことではないか。
だいいち、文豪座のお客さんの多くは、この梅町冬子の演技を観るために、わざわざ劇場に足を運んでくれているのである。
そのことをろくに考えもしないで不平不満を並べたて、はては自分のことを裏切るなんて。
冬子はあの騒動を思い返すたびに、身体の奥から得体の知れない生き物が何千何万も這い出してくるようななんとも曰く言い難い感情を抑えることができなかった。
ところが、下劣愚劣の徒というものは、やること為すこと一事が万事その通りで、過去の出来事などまるでなかったかのような顔をして、平気で許しを乞おうとする。
さっき楽屋を訪ねてきた、あの遠山譲もそんな下劣愚劣の徒の一人だ。
梅町先生、僕はもう一度先生とごいっしょに。
よくもそんな言葉を口にすることができたものだ。
あの男がいらぬ苦労をかけたせいで、友田弓子は死んでしまったのではないか。
それにあの男は美作六助のことをしきりと口にしていたが、六さんの場合と遠山譲では丸きり話が違う。
六さんは、馬場源太郎ばかりを文豪座から追い出すのは忍びないから、自分が無理を言って…。
ああもう、いやんなっちゃうなあ。
どうしようもない怒りと憤りが込み上げてきた冬子は、知らず知らずのうちに、遠山譲が北海道土産と称して持って来たいかあられの袋を、何度も何度も力任せに踏みつけていた。
(以上、『カルタ遊び』の23)
2009年02月11日
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