☆エルガー:交響曲第1番
アンドレ・プレヴィン指揮ロイヤル・フィル
1985年、デジタル録音
<PHILIPS>416 612-2
英国人にとって、少なくともクラシック音楽好きの英国人にとって、エルガーという作曲家はいくら讃えても讃えきれない、偉大な存在であるという。
そういえば、15年ほど前のケルン滞在中、サイモン・ラトル率いるバーミンガム・シティ交響楽団がフィルハーモニーを訪れて、エルガーのエニグマ変奏曲を演奏したことがあったのだけれど、その終演後、さすがはラトルとバーミンガム、いい演奏やるもんだなと僕が感嘆していると、見るからにアングロサクソン系とわかる老紳士がつかつかと近寄ってきて、「どうです、すごいでしょう」と口にしてにこっと微笑むという一幕もあったっけ。
あの老紳士はきっと、ラトルとバーミンガム・シティ交響楽団のことだけじゃなくて、エルガーの作品についてもすごいと言いたかったんだろうな、といまさらながら思う。
確かに、音楽の不毛地帯、といえば言い過ぎだけれど、パーセル以降、これはという作曲家を生み出してこなかった英国人にとって、エルガーは干天の慈雨、まさしく誇るに足りうる大作曲家だと断じてよいのではないか。
当然、ワーグナーやブラームス、リヒャルト・シュトラウスをはじめとしたドイツ後期ロマン派からの影響は濃厚で、そのことを云々かんぬんうんすんかるたすることもできはするけれど、それが、ノスタルジーをたっぷりと感じさせる美しいメロディや、金管楽器の巧みな使用など、エルガーの音楽(それは、彼が日々生活した19世紀半ばから20世紀初頭にかけての文化的経済的政治的、いわゆる社会的諸状況の反映でもある)の持つ個性、魅力を否定する材料になるとも思えない。
そして、エルガーの数多くの作品の中でも、二つの交響曲は、上述したような当時のイギリスの社会的諸状況の反映という意味からも、大きな価値を持っていると僕は考える。
また、そのいった作品の印象を度外視したとしても、荘重さと穏やかさ大らかさ、さらには一種の翳りすら有したエルガーの交響曲は、非常に魅力的だと思う。
今回取り上げる、アンドレ・プレヴィン指揮ロイヤル・フィルが演奏した交響曲第1番のCDは、そうした作品全体の持つイメージや魅力を最大限に引き出した録音と言えるのではないか。
なぜなら、プレヴィンの音楽づくりは、楽曲の構造の把握という点でとても安定しているし、ロイヤル・フィルの丹念できめの細かい表現も、作品そのものの美しさを巧く伝えているからだ。
1985年というから、今からほぼ25年も前の録音になるが、繰り返し音楽を愉しむという意味で、全く問題はない。
エルガーの交響曲第1番のファーストチョイスとして、安心してお薦めできる一枚だ。
英国音楽好き以外の方にも、ぜひご一聴いただきたい。
2009年01月21日
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