☆グリーグ&セヴェルー:「ペール・ギュント」組曲
アンネ=マルグレーテ・アイコース(ソプラノ)
アリ・ラシライネン指揮ノルウェー放送管弦楽団
1996年、デジタル録音
<FINLANDIA>0630-17675-2
メジャーとマイナー。
何をもってしてその二つを分かつかを口にすることはそうそう容易ではなくて、女の中に男があって男の中に女があるように、例えばモーツァルトの音楽を聴いたりしていると、長調の作品の途中でなんとも曰く言い難い翳りがうかがわれる部分があったり、逆に短調の作品から生命力のほとばしりを感じたりすることもある。
それに、ことさらこれはこうであれはああだと決めつける考え方というのは、あまりにも単純というか、それこそブッシュの馬鹿息子が終始口にしていた似非勧善懲悪論を思い起こさせるようなうっとうしさや胡散臭さすら伴う。
ただ、そうは言っても、明らかにメジャーとマイナーの区別がはっきりしたものも世の中にはあまたあって、マイナーなものをメジャーだメジャーだと騒ぎたてたところで、それはマイナーなものを讃えるどころか、かえってそのよさすら貶めることにもなりかねない。
まさしく、ひいきの引き倒し、助長というやつだ。
さて、今回取り上げるCD、アリ・ラシライネン指揮ノルウェー放送管弦楽団の演奏したグリーグとセヴェルーの「ペール・ギュント」組曲集のうち、どちらがメジャーなもので、どちらがマイナーなものかは一目瞭然、ならぬ一聴瞭然だろう。
いわゆる新劇のご本尊イプセン(何せ、あの『人形の家』をはじめ、『ヘッダ・ガブラー』や『民衆の敵』の作者なんだもの)の創作の中では、どちらかと言えば荒唐無稽の物語と言えなくもない「ペール・ギュント」(それでも、19世紀の社会的諸状況のあからさまな反映であることは否定できまいが)に付けられたグリーグの音楽は、ノルウェー情緒たっぷりで、なおかつドラマティックな要素にも事欠かない、実に耳なじみのよいものに仕上がっている。
そして、その好き嫌いは別にして、朝の気分やオーゼの死、アニトラの踊り、山の魔王の宮殿にて、ソルヴェーグの歌といった劇音楽中の美味しい部分を集めた二つの組曲を、オーケストラ作品におけるメジャー中のメジャーと位置づけることには、まずもって異論はあるまい。
一方、1947年に新たに作曲されたセヴェルーのほうは、当然のことながら祖国の先達グリーグを強く意識してのことだろう、曲球変化球主体のきわきわぎりぎりの勝負、ではない音楽のつくりで、ある種の潔さすら感じるほどだ。
それに、例えばワルキューレの騎行の音型が聴きとれる第2曲(トラック10)や、ラ・マルセイエーズやアルプス一万尺の引用も軽快な第4曲(トラック12)など、後攻者にしかできないやり口ではあるが、これはこれで、「ペール・ギュント」という作品の一面を巧みに切り取っているようにも、僕には思われる。
フィンランド出身のアリ・ラシライネンとノルウェー放送管弦楽団は、そうした二つの音楽の性格の違いを的確に描き分けているのではないか。
餅は餅屋、ノルウェーの音楽はノルウェーのオーケストラ、ではないけれど、作品の持つ特性とオーケストラの個性がしっかりと噛み合っていることは確かだし、かと言って、ヨーロッパの放送局のオーケストラに共通する機能性の高さも持ち合わせている分、純朴さ一辺倒の鄙びた演奏に終始している訳でもない。
いい意味で抑制のきいた、非常にバランスのとれた演奏であり録音であると評することができるだろう。
(セヴェルーのソルヴェーグの歌は歌つきなのに、グリーグのほうには歌がついてないのには、まあいろんな判断が働いたんだろうな、きっと)
いずれにしても、グリーグの「ペール・ギュント」を愉しむという意味においても、セヴェルーの「ペール・ギュント」を識るという意味においても、大いにお薦めしたい一枚。
聴いて損はない!
余談だけど、「ペール・ギュント」には、エックが作曲したオペラもあったんだった。
『クラシック名盤大全 オペラ・声楽曲篇』<音楽之友社>で、ヴァルベルク(!)が指揮した全曲盤を片山杜秀が推薦しているので、興味がおありの方はそちらをご参照のほど。
そういえば、この作品のタンゴか何かが入ったCDを同じ片山さんが『レコード芸術』で誉めていたような記憶があるんだけど、あれはなんのCDだったかなあ。
2009年01月20日
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