2009年01月16日

『船上にて』を読み終えて もしくは、臆面のあるなしについて

 若竹七海の『船上にて』を読み終えた。
 これで、『プレゼント』、『閉ざされた夏』、そして『船上にて』と、三冊続けて若竹さんの作品を読み続けてきたことになるが、僕は全く読み飽きることはなかった。
 当然、それは若竹さんの柔らかい語り口と、思ってもみなかったような物語の「真層」というコントラストの妙にどっぷりとはまることが出来たからでもあるが、もう一つ忘れてはならないのは、若竹七海という作家が、いわゆる臆面のない作家ではない、ということも大きいのだと思う。
 そう、僕は臆面のある作家の作品が大好きで、臆面のない作家の作品は好きではないのだ。
 それじゃあ、何をもって臆面があり、何をもって臆面がないとするのか。
 これを言葉でくどくどくだくだと説明するのは難しくって、それこそ榎木津礼二郎の如く、「君にはあれが見えないのか!」と口にしたくもなってくる。
 つまり、わかる人にはわかるものだし、わからない人にはいつまで経ってもわからない。
 作家の臆面のあるなしなんて、読む人が読めばすぐにぴんと…。
 って、この物言いも、人によっては臆面がないと判断したりもするんだろうな、きっと。
 まあ、いいや。
 もしもヒントが欲しいというのであれば、僕の本棚を観察していただければ。
 いや、観察していただく訳にはそうそういかないか。
 しからば、ヒントはただ一つ。
 ただし、それはいたって簡単。
 このブログで常日頃から記していること、つまり僕がどの作家の作品を好んで読み、どの作家の作品は一切読もうとしていないか、ということだ。
 それでは不親切に過ぎる、という方には、思い切って、僕が臆面のない作家の代表だと感じている人間二人について重大なヒントを差し上げましょう。
 それは、嵐を呼ぶ×××!
 そして、不細工な果実!
 ちょっとは、わかっていただけたろうか、臆面のあるなしを。


 余談だけど、臆面のない演劇評論家や臆面のない大学関係者ならすぐに名前を挙げられるんだけどね。
 例えば、いくらもったいをつけようと実際の生の舞台を観ずに、京都芸術センターの演劇がらみのコンクールにFrance_panの伊藤拓君を推薦してなんとも思わない森山直人とか(まあ、この企画自体、京都造形芸大お手盛りの臆面のないものではあるけれど)、桁はずれの退職金を手にし、勲章まで平気でもらった川本八郎とか。
 てか、ここまでいくと、臆面がないというより、恥も外聞もない身も蓋もない、と言ったほうがいいのかもしれないが。
posted by figarok492na at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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