2009年01月15日

永遠のこどもたち

 昔話から始めよう。
 今から15年以上も前、僕は半年ほどドイツのケルンに住んでいた。
 ライン河畔に位置するこのケルンという街の名前を耳にして、あの巨大な聖堂を思い出す人も少なくないのではないか。
 僕自身、ケルンの駅に降り立って、あの大聖堂を初めて目にしたときは、その威容さに驚嘆し息を飲んだものだった。
 ただ、物事というものは外から眺めるのと内に入って実感するのとでは全く別であって、この大聖堂の堂内の静謐で厳粛な雰囲気は、たとえそれが素朴な信仰心からばかりでなく、巧みにたくまれた明確な意図のもとに生み出されたものと承知しつつも、人の心を動かす強い力が存在すると思った。
 特に、クリスマスの夕刻にふと入った際の、ひっそりとした堂内の空気感には、本来無神論者で死後の世界など一切信じていない僕にすら、神の恩寵や奇跡というものを感じさせるものであった。
 そして、それは、日本で日々生活してきた僕に、歴史的、精神的、文化的、社会的な彼と我との大きな違いを痛感させるものでもあった。

 J・A・バヨナ監督の『永遠のこどもたち』(2007年、スペイン=メキシコ)を観終わって、僕はふとそんなことを思い出した。
 と、言っても、この『永遠のこどもたち』はスペインを舞台にした作品であり、ケルンとはいささかの関係もない。
 ただ、そのあまりにも宗教的でカソリック的な作品の世界観や物語の展開に、僕はあの時のことを思い起こしてしまったのだ。
 そう、この『永遠のこどもたち』は、「それ」が主題なのであり作品の肝なのである。
 つまり、ヒッチコック調のハラア趣向や『エクソシスト』等々のオカルト作品の巧みな咀嚼も、若干のスプラッター的な描写も、結局は「それ」を強調し、明示するためのスパイスであり、エッセンスでしかない。
 だからこそ、スペインの歴史や風土、言い換えれば、彼と我との違いをきちんと踏まえた上で「それ」を信じる人ばかりでなく、そんな違いなどわからなくたって「それらしいもの」に親近感を抱く人にも、すうっと心に浸みる作品に仕上がっているのではないか。
 逆に、「それらしいもの」はもちろんのこと、「それ」すら信じることのできない僕などには、残念ながら今ひとつ腑に落ちない作品だった。
 たとえ、伏線の張り方やシークエンスのつくり方、さらには映像そのものの美しさといった、映画の出来のよさ、また、主人公ラウラを演じたベレン・ルエダや、特別出演格のジェラルディン・チャップリンをはじめとした役者陣の演技の素晴らしさ、きめの細かさ、キャスティングの妙(個人的には、ベニグナという老女を演じた女優が印象に残る)は充分評価しつつもである。

 つまるところ、信じる者は救われる、ではない、信じて疑わない者のみに薦められる映画だと、僕は思った。
(と、ここまでは彼と我との違いを強めに記してみたんだけど、このバヨナって若い監督、なかなか映画に通じてるみたいだから、もしかしたら、日本のホラーやオカルト映画に学んだ部分もけっこうあったりしてね。なんて、思ったりもして)
posted by figarok492na at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック