2008年03月20日

『ぜんぶ、フィデルのせい』

 昨日3月19日、京都シネマまで、ジュリー・ガヴラス監督の『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年、フランス)を観に行って来た。

 「だぼはぜの子はだぼはぜだあ」とは、吉永小百合のベストワン『キューポラのある街』の中で、東野英治郎演じる主人公の父親が言い放った言葉だけれど、あのコスタ=ガヴラスの子、ジュリー・ガヴラスについては…。

 『<子供>の誕生』は、フランスの中世社会史家フィリップ・アリエスの名著だが…。

 学生時代、トリオ・ザ・ポンチョス・ブラザーズというフォークグループを組んでいた時、チリの革命歌…。

 ああ、嘘臭い嘘臭い。
 そういう批評家ぶった文章だって、書けと言われりゃ書くけれど、ここは自分のブログ。
 書きたくないもんは書きたくない!

 確かに、この『ぜんぶ、フィデルのせい』について語り始めたらきりがない。
 まず、予告篇を観て「これは大当たりだ」と確信したこと、単に作品だけではなく、実人生におけるコスタ=ガヴラスのジュリー・ガヴラスへの影響、<子供>の描き方の巧みさ、映像的技巧と伝えたいこととの見事な一致、脚本の素晴らしさ、押し付けられたものを鵜呑みにするのではなく、考えること学ぶことの大切さに力点が置かれていること、優れたユーモア感覚、主人公を演じたニナ・ケルヴェルや弟役のバンジャマン・フイエの魅力、個人的な体験や経験から心を強く動かされたいくつものシーン(特に、図書館のシーン)、作品で描かれた時代と現代との共通性、ジェンダーの問題、「もう一つ」の9・11…。

 でも、それより何より思ったことは、多くの方にお薦めしたい一本だということ。
 上述のどれか一つにでも「ひっかかる」何かがあったなら、ぜひともこの『ぜんぶ、フィデルのせい』をご覧いただければ。

 それにしても、『ぜんぶ、フィデルのせい』というタイトルは、作品の全て、本質をぴたりと言い当てたタイトルなんじゃないかと僕は強く思う。
posted by figarok492na at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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