2008年01月30日

『ヒトラーの贋札』

 京都シネマまで、ステファン・ルツォヴィッキー監督の『ヒトラーの贋札』(2006年、ドイツ=オーストリア)を観に行って来た。

 これは、本当に観に行ってよかったと思える一本だ。

 現在公開中だから、というだけではなく、こういう密度の濃い作品の大まかな筋だけをだらだらと書き流し、最後に「感動した」とか「打ちのめされた」と感想を置いてレビューのいっちょあがりというのも、本当に馬鹿らしいと思うから、ここでは詳しい内容についてはあえて触れないでおく。

 『ヒトラーの贋札』は、登場人物の一人でもあるアドルフ・ブルガーがものした著書を下敷きに、ナチス・ドイツが強制収容所内で推し進めた紙幣贋造作戦を描いた作品で、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害がその大きな主題ではあるのだけれど、ただそれだけに留まらない、普遍的な意味合いを持った群像劇、サスペンス劇、さらには宗教劇となっており、僕はとてもひき込まれた。
 監督のルツォヴィッキー自身による脚本も非常に巧みで、僅か一時間半の間に、語るべきことが語り切られ、描くべきことが描き切られているのではないか。
 主人公の世界的な贋造犯サリーをはじめ、登場人物の造形の丁寧さも強く印象に残る。
 また、クラシックなど音楽の引用も実に効果的で、作品の世界観によく添っていると思った。

 一筋縄ではいかない主人公を演じたカール・マルコヴィクスなど、魅力的で達者な役者が揃っており、その点もこの作品の観どころの一つとなっている。

 心身両面に対する暴力的な描写が多々あるため、どうしてもそういうものは受け付けられないという方もいるかもしれないが、映画好きにはぜひともご覧いただきたい一本である。
 大いにお薦めしたい。


 *追記

 ある人から、「『ヒトラーの贋札』って、過去を反省するという意味合いで造られた映画なんですか?」と尋ねられた。
 そうした意味合いも当然あるだろうけれど、やっぱりアクチュアリティの問題、鋭い現状認識があるのだと僕は思う、この『ヒトラーの贋札』が造られた背景には。
(この映画を観ながら、現在世界的に活躍するドイツ出身のある指揮者の顔を僕は思い出してしまった)

 それと、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に憤ることと、イスラエル政府の姿勢を肯定することとは全く意味が違う。
 なんでもかでも混ぜこぜにして考えていいというものじゃない。
 言わずもがな書かずもがなのことと承知の上で、あえて付記しておく。
posted by figarok492na at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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