2007年05月12日

次作のための断片

 今思うと、初恋の相手は彼女だったのかもしれない。

 中学1年の時に、同じクラスの喧嘩友だちの女の子が突然亡くなった。
 喧嘩をしたまま、仲直りもしないうちに亡くなってしまった。

 それ以来、僕は自分自身が生き続けていることに、どうしても「確信」が持てないでいる。

 それでもこうやって生き続けているのは、死というもの、自分自身が消失してしまうことが、あまりに恐ろしいからだ。
 そうでなければ、僕は何かをきっかけにして死を選ぶことを、たぶん厭わなかったと思う。


 何かに対し怒り憤るということは、どこかに信頼があり、どこかに甘えがあるからだろう。
 僕は生き続け、怒り憤り続ける。
 しかし、それは、大きな枠の中での、予定調和的な怒りであり憤りでしかない。
 しょせん、いつかは僕も消えてなくなる。
 必ず死ぬ。
 怒りも憤りも、死に到るまでの「緩衝材」に過ぎないのである。
 それ以上でもそれ以下でもない。


 僕は、不幸ではない。
 少なくとも、こうやって生き続けていられるということは、自分自身にとって幸いだと感じる。

 それに比べれば、僕の願い、もっともそうであって欲しいという願い、であるけれど、些細な願いが、適わないことなど、全く悲しむべきことではなかろう。

 必要以上に何かを為して欲しいと求めるからこそ、失望するのだ。
 はなから身勝手な期待などしなければいい。
 そして、僕にとってはまた「同じこと」が起こるだけだと了解すればいい。
 そうすれば、何も失望することはない。


 適うことなら、僕は死人の目を持ちたい。
 何が起ころうと失望もせず、落胆もしないような。
 そのような目を持ちえた時、僕はようやく透徹した存在となりえるのではないか。
posted by figarok492na at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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