2006年11月07日

『フィガロの結婚』と『RINJIN2』

 カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団他の演奏による、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』のCD<ドイツ・グラモフォン・レーベル>を聴いている。
 高校に入ってすぐの頃に買ったCDだから、もう20年以上も聴き続けていることになるのか。
 例えば、アーノンクールやガーディナー、クイケンさん、ヤーコプスといった「ピリオド奏法」による演奏を経験してしまったので、単純な録音の古さの他に、演奏そのものの古さも感じずにはいられないのだが、一方で、フィッシャー=ディースカウやヤノヴィッツ、プライ、マティス、トロヤノスを中心とする歌手陣のバランスのよさ、さらにはベームの指揮の下で創り上げられたアンサンブルの見事さは、未だに特筆に値するものであるとも、僕は思う。

 で、そんな『フィガロの結婚』を聴きながら、先日CTTの試演会で観たテンケテンケテンケテンケの『RINJIN2』(藤本ケーンさん脚本、演出)のことをふと思い出した。
 稽古を見学し、CTTの試演会に二日間とも接した『RINJIN2』だったが、率直に言って、大いに満足のいく舞台になっていたとは、残念ながら、僕には評することができない。
 だが、合評会で藤本さんが発言したような「台本」そのものの問題や、演者陣の上手下手、努力不足をその原因だと断じることも、僕にはできない。
(身びいきではなく、演者陣の努力は充分評価すべきだろう)
 もし問題があるとすれば、それは台本の持つ特性、テンポ感やアンサンブルの重要性が演者陣に今一つ巧くとらえられていなかったことに尽きるのではないだろうか。

 すでに合評会で藤本さん自身が発言し、僕も指摘したように、この『RINJIN2』で必要とされたのは、高度な「音楽性」なのだ。
(「二重唱」があり、「三重唱」があり、「六重唱」があるという具合に考えると、この『RINJIN2』のつくりが、古典派歌劇のそれとぴったりと重なることがよくわかる)
 台本の持つ弱さを全く否定するつもりはないが、そのことがクリアされていたならば、試演会における印象は大きく変わっていたはずである。
(試演会における前後の団体との「関係」も小さくはなかったとも思うが)

 もちろんそれは、個々の演者にとって容易でないことも事実だろう。
 なぜなら、個々の演者は、台詞と台詞の掛け合いやテンポのとり方、その他あれこれと「アンサンブル」であることへの意識を強く持続して一つの舞台を創り上げなければならないからである。
(究極的には、それが演技する者にとって当然必要とされることとはいえ)
 そして、実はそのことは藤本さん自身、充分織り込みずみのことだったろうと僕は考える。

 要は、今回の上演を通して、個々の演者たちがそのこと(自らの「不足」と「課題」)を自覚できるか否かなのだ。
 テンケテンケテンケテンケの面々には、ぜひともそうした点も含めて、次回の公演につなげていってもらいたい。


 そう言えば、『RINJIN2』という作品は、「調和」を希求するという物語の内容からも、精神面で『フィガロの結婚』に「通底」するものがあるのではないか。
 どのように表現するかとともに、何を表現するかもまた大切なことだ。
 そして、それが巧く重なった時に、心動かされる作品が生まれるのだと、僕は思う。
posted by figarok492na at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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