2006年07月22日

張込み

 『神々の乱心』創作中に亡くなった松本清張は、ご存知の如く、非常に息の長い小説家だったが、彼がもっとも充実した執筆活動を行っていたのは、日本が本格的な戦後復興を成し遂げ始めた昭和20年代の後半から、高度経済成長のひずみが表れ始めた昭和40年代の前半にかけてだったように、僕は思う。
(そしてその時期は、日本の一般大衆にとって「貧しさ」が、我が事から他人事へと変わる過渡期にあたると言い換えることも可能なはずだ)

 1955年(昭和30年)に発表された『張込み』は、そうした松本清張の充実期を代表する作品の一つで、距離感を保ちつつ、登場人物の姿を乾いた筆致で鋭く描き込む彼の特性が、よく発揮されているのではないだろうか。

 今回、京都文化博物館の映像ホールで上映された、野村芳太郎監督の『張込み』は、その松本清張の小説を映画化した作品である。

 警視庁捜査一課の二人の刑事(宮口精二と大木実)が、逃走中の強盗殺人犯(田村高廣)を追って、犯人のかつての恋人で、今は別の男性の妻となっている女性(高峰秀子)を張込むために、佐賀を訪れる。
 女性は、吝嗇家の夫や義理の子供との生活にけなげに耐えて、判で押したような毎日を送っており、刑事たちは半ば犯人が表れることを諦めてしまうのだけれど…。

 といった非常にシンプルなストーリーだが、僅か30枚程度の原作をそのまま映像化しても、ということで、脚本の橋本忍が新たに様々なエピソードを付け加えている。
 例えば、若い刑事の女性と犯人に対する「シンパシー」をより解りやすくするためもあって、彼と高千穂ひづる扮する恋人との関係(彼女は「貧しい」家庭の娘であり、お互い、どうしても結婚に踏み切れないでいる)を描いている点は、その際たるもので、他にも宮口精二の家族のエピソードや、張込み先の旅館における息抜き的エピソード、さらには当時の佐賀の風俗までが盛り込まれていて、原作を知っている分、巧くドラマにしているなと思ってしまう。
(刑事二人の関係や、若い刑事と犯人の関係が、あの『野良犬』を思わせるのは、橋本忍の計算のうちだろうか?)

 ただ、大木実のモノローグの多用など、ところどころ古さというか、冗長さを感じたことも事実であり、そこが、この作品を超一流の傑作ではなく、名作や佳作のラインに留めている原因にもなっているように思われた。

 役者陣では、まずは何と言っても高峰秀子を挙げるべきだろう。
 かつての恋人との再会によって解き放たれる前と後との感情の変化の表現が、非常に素晴らしい。
(『浮草』と『乱れる』との間に、この『張込み』が撮影された訳だが、彼女の演技を通して、映画の「重層性」を再確認するこさえできた)
 また、宮口精二も実に達者で巧い。
 他に、旅館の女主人の浦辺粂子が「堂に入った」演技を行っていて、強く印象に残った。
(藤原釜足、菅井きん、さらには『生きる』の小田切みきまで出演しているのは、ご愛嬌だろう。あと、個人的には、近衛敏明の姿を観ることができて嬉しかった)

 いずれにしても、野村芳太郎監督による松本清張物の中では、時代との合い方といい物語の造りといい、ベストの一作ではないだろうか。
(『砂の器』は感動大作だが、原作とは似ても似つかぬお涙頂戴物だし、井手雅人脚本の『鬼畜』は、「邪劇」としては最高だが、あまりにも時代とずれ過ぎている)
posted by figarok492na at 23:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
昔の広告で高千穂ひづるさんもとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
Posted by kemukemu at 2007年01月06日 15:01
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