2006年07月10日

『乱れる』と『浮雲』

 予定通り、みなみ会館まで成瀬巳喜男監督の『乱れる』(1964年、東宝作品)と『浮雲』(1955年、東宝作品)を観に行って来た。

 『乱れる』、『浮雲』とも、まさしく「大人」のための作品だと思う。
 そして、両作品とも、ぐいぐいぐいぐいと力技で観る者をねじ伏せるような展開ではないのに、観終わった後で、ただただ「圧倒された」という言葉が口を突いて出てしまう。
 例えば、『乱れる』における高峰秀子扮する主人公の心が揺れ惑う姿や、『浮雲』における高峰秀子と森雅之の曰く言い難い関係の描き込み方など、成瀬巳喜男の創り上げる世界の、やるせなさ切なさ情けなさ哀しさたまらなさには、「ああ、もう」と嘆息せざるをえない。
(高峰秀子という演技者の魅力を識るという意味でも、『乱れる』と『浮雲』の併映は「ベスト」だと思う)

 また、成瀬作品が巧みに時代(単に風俗ばかりでなく)を活写しているという点についても、再確認することができた。
(『乱れる』など、現在の「あれこれ」を予言しているかのようですらある)

 いずれにしても、この二作品について、あまりくどくどくどくどとは語りたくない。
(本当は、語りたいことは山ほどあるのだけれど、口にするのは野暮なので)
 明日までみなみ会館で上映中だし、DVDも発売されている。
 多くの方々に、『乱れる』と『浮雲』をご覧いただきたい。
 特に、京都の小劇場関係者には必見だ。
posted by figarok492na at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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