2006年06月13日

リゲティの訃報に考えたこと

 ハンガリー出身の作曲家、ジョルジ・リゲティが亡くなった。

 リゲティといえば、アトモスフェールやロンターノといった管弦楽曲、ピアノやチェロのための協奏曲、弦楽4重奏曲やホルン3重奏曲などの室内楽曲、ピアノ曲をはじめとした器楽曲と、幅広いジャンルで数多い作品を作曲しているが、個人的には、何と言っても一連の声楽曲が強く印象に残る。

 20世紀に作曲された様々な歌劇の中でも、強烈さとグロテスクさで群を抜く『グラン・マカーブル』。
 リゲティのエッセンスが詰まりに詰まった『アヴァンチュール』や『新アヴァンチュール』。
 そして、キューブリックの『2001年宇宙の旅』で使用されている『レクイエム』。
 いずれをとっても、音楽的な側面からばかりではなく、テキストと音楽の関係性、テキストそのものの破壊性、解体性という意味でも、おそろしいほどの実験性にあふれた意欲的な作品と言えるだろう。
(そうした音楽とテキストの「ひずみ」の中から、ユーモアというか、滑稽さがわき上がっている点も、リゲティの声楽曲の魅力だと、僕は思う)

 で、こうしたリゲティの声楽曲を思い起こしながら感じることは、いわゆる実験性の強い作品に接する場合は、知と技に優れた演奏者による演奏でなければ、非常に辛いということだ。
(演奏者の「意」=意識と意志、意欲が高くなければならないことは、言うまでもあるまいが)

 一見(一聴)、「いいかげん」に感じられるあれこれは、実は精緻に仕掛けられ積み重ねられたものであって、それが僅かでもずれたり外れたりしてしまえば、作品の持つ効果は大きく薄れてしまう。
 まずは、テキスト(「楽譜」と「言葉」)を正確に読み解き、適確に表現しうるだけの知性と技量が、演奏者には必要とされるのである*。

 *よくよく考えれば、演奏者の知性と技量の高さは、実験性が強かろうが弱かろうが、ある楽曲を演奏するという行為に際しては、なべて必要とされることだ。
 ただ、例えば、同じモーツァルトの『魔法の笛』の中でも、パパゲーノのアリアと夜の女王のアリアとでは、求められる技量の質が異なっているように、同じ20世紀の作曲家でも、リゲティの声楽曲とバーンスタインの『キャンディード』では、求められる技量の質は大きく異なっているだろう。
(「夜の女王のアリアを、女装した斎藤晴彦がいつもの調子で歌うとして、その際の声楽的な技術の問題はどうなるんだ」、というような特異なケースはここでは除外する。それを言い出すときりがない)

 ひるがえって、僕らの身のまわりで行われている実験性の強いと評される演劇の公演はどうかと考えてみると、「意」だけが高くて、知や技が追いつかないというケースがままあるのではないかと、ついつい思ってしまう。
(これは、マネージメント、制作という部分も含めてのことだけれど)
 少なくとも、リゲティの「アポパオピョパペポパ」といった声楽曲の演奏と、京都芸術センターで時に行われている「オオオオオイイイイイ」といった演劇の公演とでは、表面的にはある程度類似した部分があったとしても、表現された結果としては、まだまだ大きな差があり過ぎると僕は思う。
 そして、表現者の意欲ばかりを評価しなければならない公演なり何なりは、それだけで失敗なのではないかとも思う。

 リゲティの訃報に、そんなことまで考えてしまった。
posted by figarok492na at 16:59| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
リゲティは戦後の作曲家としては、
圧倒的な天才だったと思います。
Posted by とーし at 2006年06月20日 06:45
 初めまして。
 コメント、ありがとうございます。

 >リゲティは…
 確かに、そうですね。
 ソニーとテルデック両レーベルから、彼の作品がまとめて発売されていましたが。
 困難は承知の上で、ぜひとも実演で彼の作品に接したいと思っています。
Posted by figaro at 2006年06月20日 14:16
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【訃報】戦後現代音楽の巨人リゲティ氏が死去 83歳
Excerpt: 作曲家のジェルジ・リゲティ氏が死去 第3回世界文化賞受賞 オーストリアの作曲家で第3回世界文化賞受賞者のジェルジ・リゲティ氏が12日、ウィーンで死去した。83歳だった。??
Weblog: Cottonwoodhill 別別館
Tracked: 2006-06-13 19:12