2006年04月03日

前の記事の続き

 で、ウィーン国立歌劇場再開の50周年記念ガラを観て、日本におけるオペラをとやかく言うのは、もはや「アンフェア」以外の何ものでもないのだけれど、それでも、彼と我との違いを強く感じずにはいられない。

 ウィーン国立歌劇場でも、毎日毎日あんな公演が行なわれている訳ではない、あれはお祭りだ、といったことや、ヨーロッパだってオペラの置かれた位置は云々かんぬんといったこと、さらには日本のオペラだって云々かんぬんといったことぐらい、僕だって充分承知の上だ。
 それでもなお、彼と我には厳然とした違いがあるということを感じてしまうのである。
 そして、こうした違いを痛感したところからでないと、「何も」始まらないのではないか、とも思ってしまう。
 世界の大歌劇場(や、東欧の小歌劇場)の引っ越し公演が繰り返され、新国立劇場でオペラの公演が重ねられているから、オペラが日本という国に着実に強固に根付いていると「安心」するのは、大間違いなのではないだろうか。
 少なくとも、僕はそう思う。
(一方で、地域で行なわれている「手づくり」のオペラ公演など、注目すべき公演も多々あるが)


 余談だが、5月27日に京都芸術劇場・春秋座で、京都オペラ協会が『フィガロの結婚』の上演を予定している。
 大大大好きなオペラだし、モーツァルト・イヤーだし、原語上演だし、観に行ったろかいな、と思っているのだが。
 実は、ABCフレッシュコンサートの後、ザ・シンフォニー・ホールの裏口で、この京都オペラ協会に所属する藤山仁志の「オペラ歌手オペラ歌手した」嘘臭いしゃべり方を聴いてしまったのだ。
 これを話し出すと長くなるので割愛するけれど、一人がこういうしゃべり方をしてるってことは、協会の歌い手の何人かはこういうしゃべり方をしてるってことを予想できる訳で。
 ううん、どうなんだろうなあ。
 ちょと気になるなあ。
posted by figarok492na at 13:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>>京都オペラ協会に所属する藤山仁志の「オペラ歌手オペラ歌手した」嘘臭いしゃべり方を聴いてしまったのだ。

とは?  気になっちゃって。良かったら聞かせていただけませんか?
Posted by RB at 2006年04月16日 05:37
 こんにちは。
 コメント、ありがとうございます。

 まず、ABCフレッシュコンサートでの藤山さんの歌唱については、好印象を持ったことを一言断わっておきたいと思います。
(すでに、アップしたところではありますが)

 >「オペラオペラ歌手した」…
 藤山さんは、例えば、日本のオペラ歌手の人によくありがちな、「私は、オペラ歌手です」とアピールしているような、声を響かせ妙に抑揚をつけた「いい声」で会話されていたのです。
 そのことが、藤山さんの優れた歌唱(ベルカント)と結びついていることも事実なのでしょうが、一方でそれは、「後から身についた」その人自身のものとは言いにくいもの=嘘臭いものとも、当方には感じられてしまったのですね。
 また、そうしたしゃべり方が「当たり前」に行われているということは、モーツァルトにおいても、「ベルカント」風の歌唱=伝統的な音楽解釈が行われるのではないか、という邪推もしてしまった訳です。
(それで、ピリオド・スタイルか「こんにゃく座」風の歌芝居式の演奏を好む当方は、もしも京都オペラ協会がオーソドックスな解釈のベルカント風の歌唱による演奏を行うのであれば、無理をしてまで聴く必要があるのかな、と考えてしまった次第です)
Posted by figaro at 2006年04月16日 13:14
なるほど。「うそ臭い」の意味がわかりました。
「声」の方だったんですね。
わたしは、内容の方かと思っていましたので。
たしかに、ああいったしゃべり方って、聞いていて「うそ臭い」感じ、しますね。
Posted by RB at 2006年04月16日 17:07
 こんばんは。
 ご理解いただけて、ほっとしました。
 また、当方の言葉足らずで、申し訳ありませんでした。

 「声」のほうはコメントに記した通りですが、藤山さんのお知り合いの方に対する態度は、グランドマナーに則った、非常に親密で丁寧なものでしたよ。
Posted by figaro at 2006年04月16日 21:34
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