さて、新・KYOTO演劇大賞本選第2夜、マレビトの会の『蜻蛉』(松田正隆さん作・演出)を観ての感想。
本当は、批評家風にあれこれまじめくりかえって書き連ねようと思ったんだけど、やめたやめた。
しゃらくせえってやつだ。
いつものフィガロ調で書こう。
確かに、松田さんや役者陣は頑張っていた。
3次予選に比べて、何とか芸館対応の舞台づくりを心がけていたと思う。
まず、舞台中央に、主人公である女性教師の部屋として正方形のスペースを置き(舞台内の舞台と見立てることができる)、その周囲の何もないスペースを、時間軸があいまいな、幻想的抽象的な空間として提示していた点には、前回のアトリエ劇研では得られなかった、作品世界の拡がりを感じることができた。
また、3次予選では中途半端だった能の所作、と言うより太田省吾風の所作(登場人物が、不自然なくらいゆっくりとしたテンポで、すり足気味に動作を行なう)を徹底させていた点や、作品の白眉であるはずの、ラスト近くの主人公とその妹の対話のシーンに、他の登場人物による「滑稽な」ダンスをはめ込んで「くずして」みせた*点は、松田さんとマレビトの会の実験精神の大きな表れと評することができる。
*これは、1月の『王女メディア』のリーディングで試みられていたこと。観に行った人間としては、「俺だけが知っている」とほくそ笑みたくなった。
しかし、そうした努力は充分認めつつも、観ての正直な感想を言えば、これが前売り2500円、当日3000円では、やっぱりぼったくりと呼ぶ他ない、ということだ。
なぜなら、この作品の中核となるべき主人公役の山本麻貴さんとその妹役の武田暁さんの演技がどうにも散漫で、迫真性をもたなかったからだ。
特に、前半の二人だけのシーンは、二人の演技があまりにも「ばらばら」で、観ていていーっとなってしまったし、後半の「くずし」(これ自体は面白かったが)の入るシーンでも、何だか緊張感が薄く、せっかくの「くずし」が活きるほどの状態を築けてはいなかったように、僕には思えてならなかった。
(二人には厳しい言葉になってしまったが、こんなことは3次予選を観終えた段階で、僕には予想のついていたことだ。だから、本選に無理から残すべきではないと、僕は主張したのである。役者個人や、キャスティングを含めた演出の松田さん自身の責任も当然大きいが、それより何より、まずもって問われるべきは、先の先を読まずにマレビトの会に投票した専門審査員、特に太田耕人や森山直人らの責任だと、僕は強く思う*)
一方で、牛尾千聖さんの、広岡由里子と研ナオコと吉田日出子をまぜこぜにしたようなトリックスターぶり(『寺内貫太郎一家』や『ムー一族』を彷佛とさせる、ファック・ジャパンとの殴り合いをはじめ)や、山口春美さんのどこかぬるっとした抑えているのに気色の悪い感じは、今後の活躍が大きく期待できるものだった。
*だからこそ、審査発表会で菊川さんあたりが、『マレビトの会』の役者はどうこうと、知ったようなことを口にしたら、僕は絶対に許さない。そんなのわかり切ったことじゃないか。自分で2階に上げておいて平気で梯子を外すような人間が、僕は大嫌いだ。
雨と寒さもあって、お客さんの入りは非常に悪かった。
(演出との関係か、左右の客席には黒幕がかけられていて、初めから座れないようになっていたのだが、それでもまだまだ余裕があった)
椋平さん、これでもわかりませんか?
それと、上演中、ある男性のいびきの音が、相当大きめに響いていた。
むろん、これも「批評」の一つと見るべきなのかもしれないが。
そして、絶対に許されないこと。
何と、太田耕人も森山直人も、今回の公演を観に来ていなかったのだ。
お二人こそが、今回の公演を観劇する必要があったのではないか?
あまりにも、無責任な話で、厚顔無恥のかぎり。
審査員としても、批評家としても、教育者としも失格だ!
2005年02月25日
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>上演中、ある男性のいびきの音が・・・
1回/年程度ですがクラッシクのコンサートに行くと必ず眠くなっちゃいます。
演目にもよるのですが、これは気持よいからなのか、面白くないからなのか??自分でも微妙です。
いびきはかいてないと思いますけれど(笑
音楽を聴いていて眠くなるというのは、非常に健康的なのだ、という話を耳にしたことがあります。
いびきをかかないかぎりは、ぐっすりお休みいただいて(笑)
昨日の場合は、その人にとってつまらなかったのでしょうね…。