NHKの教育テレビで、ルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ケルンの演奏による、パリ・シャンゼリゼ劇場における『フィガロの結婚』(モーツァルト作曲)公演を観る。
時間の関係でハイライトでの放送だったのだけれど、この抜粋の仕方がまずいまずい。
第1幕でフィガロが歌う「もし、殿様がダンスをするなら」をカットして、バルトロのアリアのほうをとっているのだ。
何じゃ、そりゃ!
ここでのフィガロの歌こそ、『フィガロの結婚』の肝の一つであるというのに。
NHKは、こういうところまで自主規制しているのかね。
だめだめだよ、全く。
(しかも、バルトロのアリアってのが、まるで海老じょんいるがだらだらしゃべっているのと通じるような、古臭い歌なのだから)
さらに、伯爵とスザンナの2重唱や伯爵のアリア、伯爵夫人のアリアと手紙の2重唱、おまけに第4幕のフィガロとスザンナのアリアさえカットされている、
どないなっとねん!
この『フィガロの結婚』というのは、初演当時の「変更」は置くとして、アリアや重唱、レチタティーヴォ(台詞にあたる部分)にいたるまで、一音たりとも欠かすことのできない魅力的な音楽の宝庫なのである。
それを、こうもばっしゃばっしゃと切り捨てるとは度し難い!!
と、のっけから文句をぶーたれてしまったが。
演奏自体は、とても優れている。
ピリオド楽器のオーケストラと奏法によって、非常に速いテンポの部分があって*1、例えばカール・ベーム指揮のCDなどでこの曲になじんでいる人にとってはびっくりするような箇所が多々あるのだけれど、指揮者ヤーコプスの解釈に添った歌手が揃っていて(ケルビーノのアンゲリカ・キルヒシュラーガー他)、合唱ともども実に聴き心地がいい。
コンチェルト・ケルンにニコラウ・デ・フィゲイレドの通奏低音も達者な演奏で、さっそうとモーツァルトの音楽を演奏しきっている。
ただ、演出はどうだろう。
確かにテキストは読み込んでいるようだが、時に小細工が過ぎるという感じがしないでもなかった。
それと、このオペラの持つ「革命性」は、含みは残しつつもほぼ払拭されていたようだ*2。
とはいえ、この『フィガロの結婚』というオペラは、いわゆる「ウェルメイドプレイ」。
今風に言えば、三谷幸喜のお芝居のようなものだ。
誰がどう演じても、それなりに楽しむことのできる作品な訳で、今回の放送も、充分楽しめた。
ごちそうさま。
(でも、やっぱり全曲聴きたかったなあ)
*1:今回の演奏が非常に速いテンポをとっていた理由の一つは、当然ピリオド楽器の調律・調音が難しいというところに求めることができるだろうが、自らも歌手を経験してバロック期のオペラのアクロバティックな奏法に詳しいヤーコプスが、モーツァルトの音楽の中にそれとの共通する文脈を見い出し、強調していたのだとも考えられる。
*2:オペラ『フィガロの結婚』の「革命性」については、林光さんの『日本オペラの夢』<岩波新書>が詳しい。
ついに299回目。
次は300回目のアップになります!!
2005年02月07日
この記事へのトラックバック
↑ふむふむと拝読・・・・・
ところで僕の携帯着メロに『フィガロの結婚』がはいってます。
またトム&ジェリーで♪フィガロォー、フィガロッフィガロッフィガロォオ〜〜とトムが歌っていたのを思い出しました。(記憶違いでなければ)
阿呆なコメントですいません・・・・・(恥ずかし
>またトム&ジェリーで…
確かにありましたね。
耳にこびりつく歌声だったように記憶しています。
ただ、実はこの歌、モーツァルトの『フィガロの結婚』の中のアリアじゃないのですね。
ロッシーニの『セビリャの理髪師』の中でフィガロが歌う「私は街の何でも屋」というアリアなのでした。
(『セビリャの理髪師』は、『フィガロの結婚』と同じボーマルシェが原作で、『フィガロの結婚』はこの作品の後日譚ということになります)
ぜひ、お留め置き下さいませ。