青空になる。
ただし、ひとが洗濯でコインランドリーに出掛けている時にかぎって、どよんとし小雨までぱらつきだす。
タイミングが悪かったからだとはいえ、少々不快になる。
寒さ、そこそこに厳しい。
が、ホワイトクリスマスにはならないだろうな、と見当をつける。
頼まれていた細かい仕事が終わり、完全な失業状態。
しかも、『愛書狂』のほうも一応完成させ、『鶴丸文造の遍歴時代』はさっさと来年に持ち越しを決めたので、創作活動に関しても一種のエアポケット状態。
今日は、スケジュール的にも精神的にも、まっしろけのけの状態だ。
いやいや、こんな感じではいけないのだ。
人生はこの一回限り、一度失った時間は二度と取り戻すことができないのだから。
(で、奮起したかというと、さにあらず。ついついだらだらと過ごしてしまう)
『まっくらけのけ』を読了する。
一つ一つの作品が印象に残るのだけれど、やられたあ、と僕が絶句してしまったのは、最後の「或る生」である。
これぞ、まさに北さんならではの、躁状態全開の怪作。
笑ってはいけない、なんてちっとも思わない。
なぜなら、北さん自身がこうやって「作品」として発表公開しているのだから。
大いに笑う。
笑い転げる。
そして、自分自身について考えてみることになる。
吉川潮の『浮かれ三亀松』<新潮文庫>を読み始める。
三亀松とは、柳家三亀松のこと。
僕は、子どもの頃にこの柳家三亀松の藝を耳にして、こいつぁなんじゃろかい、とびっくりしたことがあったけれど(その驚きは、『ラジオ深夜便』や『ラジオ名人寄席』で再確認することができた)、一口では説明しにくい藝人なのだ。
吉川さんは、春風亭柳朝の半生を描いた『江戸前の男』<新潮文庫>でも知られる、見事な藝譚の書き手だから、この一冊はとても楽しみ。
NHK・FMで、クラシック音楽のCD録音の放送を聴く。
どうやら、今日はフランス音楽中心のプログラム。
ジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団による、ラヴェルの『クープランの墓』は、力強く明るい演奏。
これはこれで、作品の一面をよくとらえた演奏だと思う。
他に、ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団によるドビュッシーの『映像』からや、イヴォンヌ・ロリオのピアノ独奏によるメシアンの『みどり児イエスに捧げる20のまなざし』抜粋などが放送された。
メシアンのピアノ曲をまともに聴いたのは、ひさしぶりのことだが、聴かず嫌いはあかんなと反省する。
今度、CDでも買ってみようかな。
(一つ前にアップしたことを、もう忘れているぞ…)
夜、NHK・FMで、永野英樹のピアノ・リサイタルのライヴ録音を聴く。
永野英樹は、ピエール・ブーレーズ率いるアンサンブル・アンテルコンタンポランでソロピアニストを務めるなど、海外での演奏活動でも知られたピアニスト。
プログラムは、ヨハン・セバスティアン・バッハのイタリア協奏曲、ベリオのピアノのためのソナタ、ブーレーズの12のノタシオン、ブラームスのピアノ・ソナタ第1番の4曲。
やはり何と言っても、ベリオのピアノのためのソナタとブーレーズの作品が聴きものだったのでは。
ベリオにせよブーレーズにせよ、技巧面でも楽曲を分析する能力という面でも、ピアニストには高い水準が要求される作品だったが、永野英樹はほとんど不満を抱かせることなく全曲を演奏しきっていたように、僕には思われた。
一方、イタリア協奏曲では、明晰でありながら前のめりになるような瞬間が伺われた点(特に終楽章)が興味深く、ブラームスのソナタでは、ロマン派的な抒情性には乏しく、時に粗さの目立つ部分もなくはなかったが、作品の構造をよく読み込んで、作曲者の革新性を示していたように感じられた点が面白かった。
(アンコールは、ショパンの夜想曲とブラームスの間奏曲)
髪を短くしたばかり。
風邪に注意しておかないと。
2004年12月21日
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今度本屋で探してみようと思いました。
さびしい王様シリーズは読まれたことがありますか?
北杜夫入門にはお薦めのような気がします。
何かを志すものの、ついぼやっとしてしまいますねー。
集中力をつけたい今日この頃です^^
そうなんですね。
気づいたら、ぽけっとしてたりして…。
気分転換や息抜きとは違うんですよねえ…。