とても大切な友だちから、質問されたことがある。
ギリシャ神話の『パンドラの匣』についてだ。
確かに、彼女の質問は道理にあっていて、いろいろ文献をあたってみたのだが、全く答えが出せないでいた。
ただ、パソコンを導入して、ネットで検索してみたところ、ようやく納得いくような記述を見つけることができた。
彼女に伝えることができれば、と思う。
ところで、パンドラの匣を開けたのは「女性」であるが、古来よりそうした行為を「得意」としたのは、「男性」のほうではなかったか。
振り返ってはいけないと言われているのに振り返り(愛妻は還らず、おまけに八つ裂きになってしまう)、覗いてはいけないと言われているのに覗いてしまい(愛妻を失う)、話してはいけないと言われているのに話してしまい(これまた愛妻を失う)、開けてはいけないと言われているのに開けてしまう(鬚ぼうぼうのお爺さんになり、さらには鶴になってしまう)。
ほら、全て男だ。
匣を開けてしまう。
それは、僕自身のことでもある。
もちろん、これ見よがしに禁じられていることをするような人間ではない。
別のところでも書いたことだが、「石橋をたたいても渡らない」ほど臆病な人間だから、他人から渡れ渡れ、開けろ開けろと言われても、頑として動こうとはしない。
それについては、一応自信がある。
だが、じっくり見ればきちんと「開けないで」と書いてあるにも関わらず、ついついそれを見落として、ぱかんぱかんと匣を開けてしまうことがよくある。
それも、一番大切だと思っている人の大切な匣なのに、平気でぱかんぱかんと開けてしまう。
文章ならば、筆入れができる。
打ち直しができる。
でも、ジャンケンならば後だしはアウト。
そして、いったん匣を開けてしまったら、二度と閉じることはできない。
よしんば、見ためは閉じることができたとしても、元通りに戻すことは絶対にできない。
パンドラの匣なら、希望が残った。
でも、僕の開けた匣は。
残るのは、空虚さと不信感。
大切だ、と繰り返す言葉も嘘にしか聞こえまい。
ごめんなさい。
と、頭を下げる。
しかし、何度謝っても取り返しのつかないことがあるのだ。
開き直るか。
誤りは、人生の常だと。
開けてしまったんだから、仕方がないと。
否、否、否。
開けてしまったことの重さを噛みしめながら、もう二度と匣を開けないようにと努める他ないのだ。
匣に刻まれた言葉を見落とさないように気をつけながら。
それが、匣を開けてしまった今の僕にできること。
それ以外には何もない。
そして、ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
2004年11月12日
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自分の過ちを正し、繰り返さず、友人と新しい関係を築くにはどうしたらいいのか、まだ良くわかりません。
悔いを記憶に刻んで、次に進んでゆくしかないとは思うのですが「開けてしまった自分という人間に対する不信感」は本当につらいし、ある意味ぬぐえないものなのかもしれないと感じることがあります。
いつも、ありがとうございます。
希望は、絶望と同じように虚妄だと思っています。
>risagasuokikuさんへ
いつも、ありがとうございます。
僕自身、過ちを繰り返してばかりです。
このまま、年を重ねていくのではないかとたまらない気持ちです。
>たま@さんへ
いつも、ありがとうございます。
自分がどう思われるか、ということが当然ある反面、相手の心情を考えると、反省するしかないです。
行為だけが問題なのではないから。