台風も去り、青空。
ただし、薄ぼんやりとした感じも強い。
それにしても、何だかむわっとするなあ。
10月も10日だと言うのに、部屋ではTシャツと短パンですごしてしまう。
ジャック・デリダが亡くなる。
フランスの哲学者。74歳。
何ぞデリダ氏の本はなかったかいな、とあちこち探してみたのだが、結局一冊も出てこなかった。
どうやら、引っ越しの際にうっぱらってしまったらしい。
仕方がないので、筒井康隆の『文学部唯野教授』<岩波書店・同時代ライブラリー>を読んでいたら、『ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析』(『文学部唯野教授のサブ・テキスト』<文藝春秋>所収)が読みたくなって、そちらのほうに移動してしまった。
脱構築ならぬ、脱線。
黙祷。
(余談だけど、朝日新聞にコメントを寄せていた浅田彰って、今はどんなスタンスで「仕事」をしてる訳?)
今は懐かしい『脱線問答』<NHKの微温的なバラエティ番組>の司会者はかま満緒がマスターを務める、『日曜喫茶室』<NHK・FM>を聞く。
お客様(ゲスト)は、加藤剛と石川文洋。
常連のお客様(準レギュラー)は、池内紀。
この番組、なかなかの聞き物だ。
『日曜喫茶室』から、『日曜娯楽版』のことを思い出し、飯沢匡の『武器としての笑い』<岩波新書>を開いてみた。
『日曜娯楽版』は、敗戦直後に放送されていたNHKのラジオ娯楽番組で、その直接的間接的な政治諷刺が災いして、放送終了に追い込まれてしまったことでも知られている。
この番組に関しては、三木鶏郎の活躍が有名だけれど、飯沢さんは彼以外の功績についても強調し、丸山真男の弟丸山鉄雄の他、池田弥三郎、伊馬春部、戸板康二、キノトール、神吉拓郎などの名前を上げていた。
何れにせよ、後年その才能を発揮した人々が、この番組を支えていたということになる。
ところで、長谷川如是閑から始まって、林達夫、花田清輝、久野収、鶴見俊輔へと続くライン、江戸川乱歩や横溝正史から、小林信彦へと続くライン、飯沢匡から筒井康隆、モブノリオへと続くライン、林光と新藤兼人、殿山泰司、大島渚グループをつなぐライン、林光から佐藤信へと続くライン、その他これらのラインの周辺にいた人々(この中には、斎藤美奈子や片山杜秀も含まれる)に「通低」するものを、カルチャー・サブカルチャーを越えて「知の体系」としてとらえ、一つにまとめあげることはできないものだろうか?
例えば、桜井哲夫が『戦争の世紀』や『「戦間期」の思想家たち』<ともに平凡社新書>で、フランスの思想家たちの交流と交鎖を見事に描いているように。
(残念ながら、今の僕には無理な話だ)
NHKの『FMシンフォニーコンサート』で、尾高忠明指揮東京フィルハーモニー交響楽団のライヴ録音を聴く。
メインのチャイコフスキーの交響曲第4番には、「よくまとまった演奏でした」という感想しかないが、アンコールで演奏された「サマリーンの栄誉のためのエレジー(弦楽合奏曲)」は非常に美しく、聴いていてよかったなと心から思えた。
その後、Tシャツのままで河原町に出かけた。
雲がもこもこと膨れ上がっていて、まるで夏のよう。
ほんまに、10月かいな。
ブックオフで古本を4冊購入。
CDは買わず。
『花伽藍』を読み進める。
うむむ、またぞろ森田宅の犬が鳴き喚いているぞ。
ほんと、やれやれだ。
2004年10月10日
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