天皇誕生日。
青空は見えながらも、どんよりとしたお天気。
雨も降る。
今日も厳しい寒さだ。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。
新型コロナウイルスにもお気をつけのほど。
寒いと身体が縮こまる。
そして、花粉も飛んでいて、目の周りが重たく痒い。
トランプ大統領。
何から何まで拙速の一語だ。
生き急いでいるとしか思えない。
アメリカばかりか、世界中を自らと一緒に地獄落ちさせるつもりか。
高校無償化で支持率を上げようとする維新だが、兵庫県知事選に関する三県議や岸和田市長こそが彼彼女らの本性だ。
ゆめゆめ騙されてはならない。
関西はずっと騙されっぱなしだが。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでバス=バリトンのアダム・プラチェトカがダヴィト・シュヴェツのピアノ伴奏で歌ったドヴォルザーク、スメタナ、フィビフ、スークの歌曲集『夕べの歌』を聴き、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴きながら仕事関係の作業を進めたのち、2時過ぎに寝床に就く。
9時過ぎに起きる。
午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでヴァイオリンのダヴィッド・オイストラフとチェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したブラームスのヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲を聴き、フルートのマリオ・アンチロッティとピアノのエリアーナ・グラッソが演奏したメル・ボニのフルートとピアノのための作品全集を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたりする。
薗部寿樹の『看聞日記とその時代』<勉誠社>を読了する。
伏見宮貞成親王が遺した看聞日記の現代語訳のパイロット版。
エピソードの重複など、編集が行き届いていないのではと感じる点もあったが、その内容は実に面白い。
現代語訳された看聞日記全体を読んでみたい。
11時50分過ぎに外出し、阪急で河原町へ。
丸善京都本店で買い物をしたのち、UrBANGUILDで第33次笑の内閣『20周年コント公演 今夜はキックバック』を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
公演前終演後、高間君はじめ出演者関係者諸氏と話をする。
で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、amazon music unlimitedでピアノのオリヴァー・トリンドル他が演奏したラーボアの5重奏曲ニ長調と3重奏曲ホ短調、スティレ・アンティコが演奏したウィリアム・バードの声楽曲集を聴きながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、観劇記録をアップしたりする。
途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
今日は日曜日だった!
夕飯後、amazon music unlimitedでエルス・ビーセマンスがフォルテピアノで弾いたネーゲリのトッカータ第1番と第2番、アマヤ・フェルナンデス・ポスエロがチェンバロで弾いたヨハン・セバスティアン・バッハの作品集を聴きながら仕事関係の作業を進める。
入浴後、amazon music unlimitedでクリーヴランド弦楽4重奏団が演奏したブラームスの弦楽4重奏曲第1番、第2番、第3番を聴き、アルトゥール・ルービンシュタインが弾いたショパンのスケルツォ全曲(第1番〜第4番)を聴きながら仕事関係の作業を進める。
今日も、バナナを食す。
ほかに、ココナッツクラッカーも食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2025年02月23日
第33次笑の内閣『20周年コント公演 今夜はキックバック』
☆第33次笑の内閣『20周年コント公演 今夜はキックバック』
作・演出:高間響
(2025年2月23日13時開演/UrBANGUILD)
十年一昔なんて言葉があるが、笑の内閣が今年でちょうど結成20年を迎えるとは。
あまりの時の速さに愕然とするばかりだけれど、往事茫茫というわけじゃなく、その第1回公演『間男はつらいよ』(実質的には2回目となる今はなきアトリエ劇研でのC.T.T試演会)のことは強く記憶に残っている。
劇団名の由来となった三谷幸喜の『笑の内閣』を下敷きにしつつ、SF的要素も加味した会話劇で、それこそ本歌と密接に関係した浅草軽演劇のような風味のある舞台になっていた。
実際、試演のあとの質疑応答でもそうした感想を口にしたはずだ。
ただ、高間君本人はもっとバランスがとれてスマートな芝居を目指していたようで、こちらの誉め言葉に若干苦虫を嚙み潰したような表情をしていたのも忘れ難い。
それからだいぶん間が空き、笑の内閣の公演を熱心に観るようになったのは、2012年1月の第14次笑の内閣『ヅッコケ3人組の稽古場有料化反対闘争』からあとのことだ。
で、それから10年以上の笑の内閣と高間君自身の変化については、公演の度にいろいろと記してきたので、ここではあえて繰り返さない。
もし興味がおありの方は当方の観劇記録の中から、笑の内閣の公演分をご覧いただければ幸いである。
さて、『20周年コント公演 今夜はキックバック』のことだけれど。
過去の作品、過去の公演の様子(あの人やこの人、懐かしい顔を映像で目にすることができる)を織り込みながらも、単純にノスタルジーに浸るだけにとどまらない、今現在の劇団のあり様、高間君のあり様が表れた内容になっていたと思う。
『短編・がんばれ吉田寮』、『政治家の覚え方』、『現代口語AV』、『ハムレットプロレス』、『超短編コント・対案を出せ』、『笑の内閣、オリジナルソング歌謡ショー』、『やってみようZOOM演劇』、『君の名は』というコントのタイトルを並べただけでも、笑の内閣の公演に接したことのある人はその中身について十分想像がつくのではないか。
不敬なネタあり、プロレスあり、歌あり、演劇に関するネタあり。
100分近く、意図した以上のだれ場というか、どうしても集中が途切れるところはありつつも、思わず大笑いしてしまうような場面も少なくなかった。
髭だるマン、由良真介の劇団員に、石田達拡、ガトータケヒロ、川上唯、土肥嬌也、HIROFUMI、山中麻里絵のおなじみの面々や、大山渓花、夏目れみ、宮本伊織という自分にとっては初顔となる演者陣は、高間君の一筋縄ではいかないコントと真正面からよく向き合っていたのではないか。
近年の笑の内閣の公演がそうであったように、バランス感覚とスマートさが発揮されているように感じた。
そうそう、もう一つ忘れていけないことは、演劇に対する高間君の愛情とともに、彼の身近な人たちへの強い想いだ。
映像のピックアップの仕方をはじめ、今回の公演でもそうした想いがそこここに溢れていたと思う。
とにもかくにも、笑の内閣20周年本当におめでとうございます!!
そして、出来ることならば50周年記念公演に接することがかないますように。
(自分のことも記されているので面はゆいが、会場で販売されている『笑の内閣 20年史』は労作である)
作・演出:高間響
(2025年2月23日13時開演/UrBANGUILD)
十年一昔なんて言葉があるが、笑の内閣が今年でちょうど結成20年を迎えるとは。
あまりの時の速さに愕然とするばかりだけれど、往事茫茫というわけじゃなく、その第1回公演『間男はつらいよ』(実質的には2回目となる今はなきアトリエ劇研でのC.T.T試演会)のことは強く記憶に残っている。
劇団名の由来となった三谷幸喜の『笑の内閣』を下敷きにしつつ、SF的要素も加味した会話劇で、それこそ本歌と密接に関係した浅草軽演劇のような風味のある舞台になっていた。
実際、試演のあとの質疑応答でもそうした感想を口にしたはずだ。
ただ、高間君本人はもっとバランスがとれてスマートな芝居を目指していたようで、こちらの誉め言葉に若干苦虫を嚙み潰したような表情をしていたのも忘れ難い。
それからだいぶん間が空き、笑の内閣の公演を熱心に観るようになったのは、2012年1月の第14次笑の内閣『ヅッコケ3人組の稽古場有料化反対闘争』からあとのことだ。
で、それから10年以上の笑の内閣と高間君自身の変化については、公演の度にいろいろと記してきたので、ここではあえて繰り返さない。
もし興味がおありの方は当方の観劇記録の中から、笑の内閣の公演分をご覧いただければ幸いである。
さて、『20周年コント公演 今夜はキックバック』のことだけれど。
過去の作品、過去の公演の様子(あの人やこの人、懐かしい顔を映像で目にすることができる)を織り込みながらも、単純にノスタルジーに浸るだけにとどまらない、今現在の劇団のあり様、高間君のあり様が表れた内容になっていたと思う。
『短編・がんばれ吉田寮』、『政治家の覚え方』、『現代口語AV』、『ハムレットプロレス』、『超短編コント・対案を出せ』、『笑の内閣、オリジナルソング歌謡ショー』、『やってみようZOOM演劇』、『君の名は』というコントのタイトルを並べただけでも、笑の内閣の公演に接したことのある人はその中身について十分想像がつくのではないか。
不敬なネタあり、プロレスあり、歌あり、演劇に関するネタあり。
100分近く、意図した以上のだれ場というか、どうしても集中が途切れるところはありつつも、思わず大笑いしてしまうような場面も少なくなかった。
髭だるマン、由良真介の劇団員に、石田達拡、ガトータケヒロ、川上唯、土肥嬌也、HIROFUMI、山中麻里絵のおなじみの面々や、大山渓花、夏目れみ、宮本伊織という自分にとっては初顔となる演者陣は、高間君の一筋縄ではいかないコントと真正面からよく向き合っていたのではないか。
近年の笑の内閣の公演がそうであったように、バランス感覚とスマートさが発揮されているように感じた。
そうそう、もう一つ忘れていけないことは、演劇に対する高間君の愛情とともに、彼の身近な人たちへの強い想いだ。
映像のピックアップの仕方をはじめ、今回の公演でもそうした想いがそこここに溢れていたと思う。
とにもかくにも、笑の内閣20周年本当におめでとうございます!!
そして、出来ることならば50周年記念公演に接することがかないますように。
(自分のことも記されているので面はゆいが、会場で販売されている『笑の内閣 20年史』は労作である)