今日も晴天。
当然の如く気温は上がり、暑さが猛烈に厳しい。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
メンテナンスのおかげで、身体はだいぶん楽になった。
戦争反対!
火事場泥棒の改憲にも反対!
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでトリオ1790が演奏したコジェルフのピアノ3重奏曲第15番、第14番、第18番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進め、ユージン・オーマンディ指揮ミネアポリス交響楽団が演奏したヨハン・シュトラウスU世の加速度円舞曲を聴き、2時40分過ぎに寝床に就く。
9時台に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでオーマンディ指揮ミネアポリス交響楽団が演奏したヨハン・シュトラウスU世のワルツ『ウィーンの森の物語』を聴き、カール=ハインツ・シュテフェンス指揮ケルンWDR交響楽団が演奏したロベルト・フックスの交響曲第1番と第2番、エルゼ・アンサンブルが演奏したゼンフターの4重奏曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
筒井清忠編の『昭和史講義 戦後文化篇』下<ちくま新書>を読了した。
午後、仕事関係の予定をすませる。
その後、amazon music unlimitedでウカシュ・ボロヴィチ指揮ポズナン・フィルが演奏したグジェゴシュ・フィテルベルクの交響曲ホ短調を聴き、エルゼ・アンサンブルが演奏したゼンフターのクラリネット5重奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品を書き進めたりする。
指揮者として知られるグジェゴシュ・フィテルベルクだが、彼の交響曲ホ短調は後期ロマン派的な官能的で濃密な気配の強い美しい音楽だった。
16時過ぎに外出し、仕事関係の用件を片付けたのち、元田中のthe SITEへ。
熊谷みずほプレゼンツ4「グッナイ」を観る。
1年半ぶりのお芝居。
ちなみに、前回も同じ熊谷さんプレゼンツの公演だった。
健康状態のせいで、なかなかお芝居や映画を生で観ることができない人間にとって40分程度の公演は本当にありがたい。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!
その後、別の用件を片付け、少し時間があったので京大生協ルネの書籍で立ち読みをし、身体のメンテナンスへ。
じっくりメンテナンスしてもらい、身体が楽になる。
ああ、すっきりした!!!
で、夕飯用の買い物をすませて帰宅する。
そそくさと夕飯をすませ、入浴したのち、amazon music unlimitedでホセ・イトゥルビとアンパロ・イトゥルビが弾いたミヨーのスカラムーシュ(2台ピアノ版)とアウベルト・ネポムセーノのラ・シエスタを聴き、カルロス・クライバー指揮シュターツカペレ・ドレスデン他が演奏したワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第3幕、エルゼ・アンサンブルが演奏したゼンフターのクラリネット・ヴィオラ・ホルンとピアノのためソナタ、クラリネット・ホルンとピアノのための3重奏曲、クラリネット・ソナタ、やさしい小3重奏曲を聴いたりしながら観劇記録をアップしたり、仕事関係の作業を進めたりする。
今日は、甘いものは少しだけ食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
まだ室温が30度。
どないなってまんのや。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2024年06月14日
熊谷みずほプレゼンツ4「グッナイ」
☆熊谷みずほプレゼンツ4「グッナイ」
1・終わりが無かったら良かったのにな(熊谷みずほ作)
2・替えがないのに汚れた(丸山俊吾作)
演出:丸山俊吾
出演:ヤマナカサヨコ、熊谷みずほ
(2024年6月14日17時開演の回/the SITE)
前も書いたことだが、50を前後してワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』がぐっと身に沁みるようになってきた。
と言って、突然老いらくの恋に覚醒したわけではない。
自らコントロールしたくともできない、やむにやまれぬ心の動きの強さ、痛切さ、人生のはかなさが我が身のこととしてようやく実感できるようになったからである。
そういえば、熊谷みずほさんがnoteにアップしたある文章に目を通したとき、『トリスタンとイゾルデ』の旋律がすぐに脳裏を過った。
なぜなら、あの楽劇の筋書きと通じるような出来事、真情が赤裸々に書き連ねてあったからだ。
そこには、それを率直に吐き出さざるを得ない弱さとともに、傍からどう見られても構わないという覚悟というか自負というか強さもあって、思わずかなわんなと呟いたほどだった。
熊谷さん企画による演劇公演、熊谷みずほプレゼンツ4『グッナイ』の前半、熊谷さんの自作「終わりが無かったら良かったのにな」にもまた、そうした弱さと強さをはじめ、虚と実、危うさと安らかさ、静と動、生と死といった一見相反するようでありながら、その実コインの裏表のような感情や関係が繊細に織り込まれていて、ぐっとひき込まれた。
もちろん、この作品、ヤマナカさんと熊谷さんの演技には『トリスタンとイゾルデ』のようなときに過剰ですらある音楽は必要ない。
二人の言葉、声がすでに音楽のように聴こえてきたから。
今時、性別を分けて記すのもなんだが、女性の演者さんへの丸山君の演出の確かさは、すでに月面クロワッサン番外公演 月面クロワッサンのおもしろ演劇集『強く押すのをやめて下さい』(2014年3月/人間座スタジオ)などで証明済だ。
「終わりが無かったら良かったのにな」では、なおのこと作品演者との関係性が活かされていたのではないか。
緊張と緩和。
後半、丸山君の自作「替えがないのに汚れた」は一転してファルス的な構え。
それでいて、まさしく一期一会の余韻が残る。
僕は、友達図鑑2回目『友達図鑑のかたくなにゆでる』(2012年2月/人間座スタジオ)以来、丸山君が書いて演出するお芝居が大好きで仕方ないのだが、僕にとっての彼の芝居の魅力は色川武大言うところの「おかかなしさ」だ。
おかしさの中に深淵がのぞく。
弱さと強さ、強さと弱さの同居。
笑いにまぶしつつも何かを吐き出さずにはいられないもの狂おしさ。
熊谷さんが丸山君を信頼するのもよくわかる。
で、ここで感嘆したのは、ヤマナカさんと熊谷さんの顔がさっと変わったこと。
あえて演技とは書かない。
もうまるで別人というような。
熊谷さんが時折丸山君のような台詞遣いをする箇所があったのもおかしかった。
そして、だからこそ、そういう設定はないだろうに、「終わりが無かったら良かったのにな」と「替えがないのに汚れた」の二人は同じ人物なのではという錯覚に陥った。
人には様々な側面があって、いつどのようにコインが裏返ってしまうかわからない。
観終えたあとしばらく経って、じわじわとそのようなことを考えてしまった。
二作で40分弱というのも、個人的にはありがたかった。
明日までの公演。
お時間おありの方はぜひ!!
1・終わりが無かったら良かったのにな(熊谷みずほ作)
2・替えがないのに汚れた(丸山俊吾作)
演出:丸山俊吾
出演:ヤマナカサヨコ、熊谷みずほ
(2024年6月14日17時開演の回/the SITE)
前も書いたことだが、50を前後してワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』がぐっと身に沁みるようになってきた。
と言って、突然老いらくの恋に覚醒したわけではない。
自らコントロールしたくともできない、やむにやまれぬ心の動きの強さ、痛切さ、人生のはかなさが我が身のこととしてようやく実感できるようになったからである。
そういえば、熊谷みずほさんがnoteにアップしたある文章に目を通したとき、『トリスタンとイゾルデ』の旋律がすぐに脳裏を過った。
なぜなら、あの楽劇の筋書きと通じるような出来事、真情が赤裸々に書き連ねてあったからだ。
そこには、それを率直に吐き出さざるを得ない弱さとともに、傍からどう見られても構わないという覚悟というか自負というか強さもあって、思わずかなわんなと呟いたほどだった。
熊谷さん企画による演劇公演、熊谷みずほプレゼンツ4『グッナイ』の前半、熊谷さんの自作「終わりが無かったら良かったのにな」にもまた、そうした弱さと強さをはじめ、虚と実、危うさと安らかさ、静と動、生と死といった一見相反するようでありながら、その実コインの裏表のような感情や関係が繊細に織り込まれていて、ぐっとひき込まれた。
もちろん、この作品、ヤマナカさんと熊谷さんの演技には『トリスタンとイゾルデ』のようなときに過剰ですらある音楽は必要ない。
二人の言葉、声がすでに音楽のように聴こえてきたから。
今時、性別を分けて記すのもなんだが、女性の演者さんへの丸山君の演出の確かさは、すでに月面クロワッサン番外公演 月面クロワッサンのおもしろ演劇集『強く押すのをやめて下さい』(2014年3月/人間座スタジオ)などで証明済だ。
「終わりが無かったら良かったのにな」では、なおのこと作品演者との関係性が活かされていたのではないか。
緊張と緩和。
後半、丸山君の自作「替えがないのに汚れた」は一転してファルス的な構え。
それでいて、まさしく一期一会の余韻が残る。
僕は、友達図鑑2回目『友達図鑑のかたくなにゆでる』(2012年2月/人間座スタジオ)以来、丸山君が書いて演出するお芝居が大好きで仕方ないのだが、僕にとっての彼の芝居の魅力は色川武大言うところの「おかかなしさ」だ。
おかしさの中に深淵がのぞく。
弱さと強さ、強さと弱さの同居。
笑いにまぶしつつも何かを吐き出さずにはいられないもの狂おしさ。
熊谷さんが丸山君を信頼するのもよくわかる。
で、ここで感嘆したのは、ヤマナカさんと熊谷さんの顔がさっと変わったこと。
あえて演技とは書かない。
もうまるで別人というような。
熊谷さんが時折丸山君のような台詞遣いをする箇所があったのもおかしかった。
そして、だからこそ、そういう設定はないだろうに、「終わりが無かったら良かったのにな」と「替えがないのに汚れた」の二人は同じ人物なのではという錯覚に陥った。
人には様々な側面があって、いつどのようにコインが裏返ってしまうかわからない。
観終えたあとしばらく経って、じわじわとそのようなことを考えてしまった。
二作で40分弱というのも、個人的にはありがたかった。
明日までの公演。
お時間おありの方はぜひ!!