2024年03月31日

今日聴いた音楽からA(2024/3/31)

 ウィリアム・スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団によるアメリカのコマンド・クラシックスへの録音が最近まとめてリリースされたが、そのワーグナー集から歌劇『さまよえるオランダ人』序曲、歌劇『ローエングリン』第3幕への前奏曲、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲<DG>を聴く。
 ちなみに、残りの『ニーベルングの指環』抜粋と歌劇『リエンツィ』序曲は先にながらで聴いた。

 ウィリアム・スタインバーグは、1899年ケルンに生まれたユダヤ系ドイツ人指揮者。
 ヘルマン・アーベントロートに学んだのち、オットー・クレンペラーのアシスタントとして研鑽を積み、実演録音両面で活動し始めたが、ナチスの政権樹立によって祖国を追われ、パレスチナ交響楽団の設立に関係。
 そこでアルトゥーロ・トスカニーニに見出され、アメリカに活動の舞台を移す。
 音楽監督としてピッツバーグ交響楽団とは長年良好な関係にあったほか、小澤征爾の前任者としてボストン交響楽団の音楽監督もつとめていた。
 ウィリアム・スタインバーグですぐに思い出すのは、高校生の修学旅行のとき京都の中古レコード店で買ったエヴェレスト・レーベルのブラームスの交響曲全集だった。
 ハインリヒ・ホルライザーが第1番、エードリアン・ボールトが第2番、レオポルド・ストコフスキーが第3番、そしてこのウィリアム・スタインバーグが第4番という構成で、その第4番の速いこと速いこと。
 あまりの速さに呆気にとられたものだ。
 今回まとめてリリースされた中にもブラームスの交響曲全集があるが、この第4番はどうも別録音らしい。
 まあこのことに加え、彼自身の経歴もあって、いわゆる即物主義を地で行くような音楽の作り手であると長年思い込んでいたけれど、最近ボストン交響楽団の硬質で立派なホルストの惑星を聴き、ちょっとイメージが変わってきていた。

 今日聴いたワーグナーでまずもって感じたのは、オーケストラのくすんだ音色だ。
 アメリカのオーケストラというと、良くも悪くもばりばりと明るく鳴るものという思い込みがあるのだが、ウィリアム・スタインバーグが指揮するピッツバーグ交響楽団は、いぶし銀というのか、抑制が効いてまるでドイツのオーケストラのような感じがする。
 演奏そのものも、どこか古風というか、SP時代のドイツのオーケストラの流儀に近い印象を受ける。
 ことに、『マイスタージンガー』の足を引きずって歩いているような音の流れとか、『ローエングリン』の冒頭の華々しい部分が終わって音が鎮まるところでのしみじみとした感じなどがそうである。
 聴いて胸が高揚するワーグナーではないが、これはこれで立派だし、面白い演奏だ。
posted by figarok492na at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日で3月が終わる(CLACLA日記)

 今日で3月が終わる。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、自分自身の死を絶対に忘れないこと。


 またもどんよりとしたお天気へ。
 青空も見えてはいたが。

 気温はさらに上昇する。
 花粉の飛散が強い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。


 身体は楽だが、花粉症がきつい。


 内も外も何から何まで泥沼状態だ。
 いつ自分自身がどうなるかわからない。

 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時半過ぎに寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 午前中、amazon music unlimitedでミッシェル・ベロフが弾いたドビュッシーのレントより遅く、スティーヴン・メイヤーが弾いたリスト編曲によるウェーバーの歌劇『魔弾の射手』序曲を聴き、キャロライン・グールディングとケヴィン・ジョン・エドゥセイ指揮ベルン交響楽団が演奏したコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲とモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 安堂ホセの『ジャクソンひとり』<河出書房新社>を読了する。


 正午ちょうどに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したドビュッシーの交響的断章『聖セバスティアンの殉教』、夜想曲から雲と祭りを聴き、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団が演奏したドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、エサ・ペッカ・サロネン指揮シンフォニア・グランジュ・オ・ラックが演奏したリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンとベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」(1966年)を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたのち3月の創作について振り返ったりし、花岡千春が弾いた坂本龍一のエナジー・フローを聴く。
 途中、YouTubeで今朝の『サンデージャポン』の拾い観をする。
 旧知のドキュメント落語家三遊亭はらしょうの出演しているところを観るためなり。
 はらしょう、週刊文春と松本人志の裁判の傍聴に当たり、そのことについて語っていたのだ。
 もともと、裁判の傍聴をやっていることも、今回の裁判を傍聴できたことも知っていたが、こういう形でテレビに出演するとは。
 これをきっかけに、ドキュメント落語の披露となればいいが。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 番組200回目の放送。
 今夜も面白し!


 夕飯後、amazon music unlimitedで花岡千春が弾いたコルンゴルトの劇音楽『空騒ぎ』からの3つの小品を聴き、ウィリアム・スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したワーグナーの楽劇『ワルキューレ』からワルキューレの騎行と魔の炎の音楽、楽劇『ラインの黄金』からヴァルハラ城への神々の入城、楽劇『神々の黄昏』より夜明けとジークフリートのラインへの旅、ジークフリートの死と葬送行進曲、歌劇『リエンツィ』序曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 入浴後、amazon music unlimitedでウィリアム・スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したワーグナーの歌劇『さまよえるオランダ人』序曲、歌劇『ローエングリン』第3幕への前奏曲、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲を聴き、バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したベートーヴェンの歌劇『レオノーレ』序曲第3番、ピアノ協奏曲第4番(クラウディオ・アラウの独奏)、交響曲第5番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進め、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団が演奏したラーションの田園組曲からロマンスを聴き、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら雑件を片付ける。


 今日は、山崎製パンのきんつばを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日から新年度が始まる。
 心を引き締めて努めていかねば。


 明日がいい日でありますように!
 そして、4月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/31)

 グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したドビュッシーの交響的断章『聖セバスティアンの殉教』、夜想曲から雲と祭り<WARNER>を聴く。
 前者は1954年6月の、後者は1955年8月の、それぞれモノラル録音である。
 いずれの曲もリリカルさとノーブルさに欠けていない。
 『聖セバスティアンの殉教』終盤での清澄さの中に潜んだ官能性や、雲の後半の艶やかさは特に印象深い。
 とともに、カンテッリはドビュッシーの音楽の持つリズミカルな動き、躍動性も的確に捉えている。
 祭りなどその最たるものだろう。
 フィルハーモニア管弦楽団の機能性も十分に発揮されていた。
posted by figarok492na at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする