グイド・カンテッリが指揮したフランクの交響曲<WARNER>を聴く。
ただし、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団ではなくて、NBC交響楽団。
NBC交響楽団といえば、アルトゥーロ・トスカニーニのために設立されたオーケストラとして知られるが(実際のところは、そう断言できるものではないらしい)、トスカニーニに目をかけられたカンテッリはしばしばこのオーケストラに客演している。
1954年4月6日のステレオ録音。
トスカニーニが引退発表を決断し、このオーケストラが消滅していくきっかけとなったコンサートの翌々日のことだ。
フランクの交響曲では、今年リリースされたタンゴーとベルリン放送交響楽団による端正で丹念な演奏に感嘆感動したばかりだが、カンテッリのほうはメリハリのハリが強く効いた演奏。
第2楽章など、メリのほうの表現も一応出てはいるのだが、概してぐいぐいと力が前に出る感じがする。
一つには、トスカニーニとの関係やオーケストラの性質も大きく作用しているのだろうが。
鮮明なステレオ録音だけれど、その分、オーケストラの粗さも感じてしまう。
できれば、この音質でフィルハーモニア管弦楽団との録音を聴いてみたかった。
2024年03月30日
実家に電話をかけた(CLACLA日記)
晴天が続く。
ただし、黄砂のせいかどんよりとした感じも強かった。
気温はさらに上昇する。
当然、花粉の飛散も増す。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。
メンテナンスのおかげで、身体はだいぶん楽になった。
花粉症は出ているが。
戦争反対!
火事場泥棒の改憲にも反対!
中東も非常に危うい状態になってきた。
この先、本当に不安でならない。
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルが演奏したヨハン・シュトラウスU世のワルツ『美しく青きドナウ』とヨハン・シュトラウスT世のラデツキー行進曲(1997年のニューイヤーコンサートから)を聴き、カーソン・レオンが弾いたイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、1時50分少し前に寝床に就く。
新しい隣人のところに人が来ていて、なんともかまびすしい。
うんざり。
8時半過ぎに起きて近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、CDでクラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したプロコフィエフの古典交響曲と行進曲変ロ長調を聴く。
その後、午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴きながら朝昼兼用の食事をすませ、amazon music unlimitedでリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルが演奏したヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ『とんぼ』、ヨハン・シュトラウスU世のポルカ『ハンガリー万歳!』、ポルカ『ドナウの川辺で』、ワルツ『美しく青きドナウ』、ヨハン・シュトラウスT世のラデツキー行進曲を聴き、ウィリアム・スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第4番とバレエ音楽『くるみ割り人形』組曲、パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したグリーグの劇音楽『ペール・ギュント』組曲第1番と第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、安堂ホセの『ジャクソンひとり』<河出書房新社>を読み始めたりし、ジャン・フルネ指揮東京都交響楽団が演奏したエネスコのルーマニア狂詩曲第1番を聴く。
14時40分過ぎに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、amazon music unlimitedでオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」を聴き、ヨハネス・クルンプ指揮エッセン・フォルクヴァング室内管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第9番、第14番、第20番、第24番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ジャクソンひとり』を読み進めたりする。
実家に電話をかけ、両親と1時間以上話をする。
今日は主に母と話をした。
いろいろと考えることあり。
夕飯後、NHK・FMの『クラッシックの迷宮』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『ジャクソンひとり』を読み進めたりする。
『クラシックの迷宮』は、『芥川也寸志の「やぶにらみの音楽論」〜NHKのアーカイブス』と題して、単に作曲家としてではなく出演者としても放送媒体と密接な関係にあった今は亡き芥川也寸志のそうした仕事の中から、『音楽クラブ』の「やぶにらみの音楽論」と『現代の音楽』の「作曲家の個展」の一部が放送されていた。
入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したフランクの交響曲を聴き、アリシア・デ・ラローチャとデイヴィッド・ジンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第12番、ラローチャとウリ・セガル指揮ウィーン交響楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第22番、ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したシューマンの交響曲第4番(ライヴ録音)、ヴァイオリンのギドン・クレーメルとレナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したバーンスタイン自身のセレナードを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ジャクソンひとり』を読み進めたりしたのち、ギターのマルガリータ・エスカルパが弾いたソルのモーツァルトの歌劇『魔笛』からの6つのアリアを聴く。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢!!
今年こそ本当に帰省しないと。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
ただし、黄砂のせいかどんよりとした感じも強かった。
気温はさらに上昇する。
当然、花粉の飛散も増す。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。
メンテナンスのおかげで、身体はだいぶん楽になった。
花粉症は出ているが。
戦争反対!
火事場泥棒の改憲にも反対!
中東も非常に危うい状態になってきた。
この先、本当に不安でならない。
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルが演奏したヨハン・シュトラウスU世のワルツ『美しく青きドナウ』とヨハン・シュトラウスT世のラデツキー行進曲(1997年のニューイヤーコンサートから)を聴き、カーソン・レオンが弾いたイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、1時50分少し前に寝床に就く。
新しい隣人のところに人が来ていて、なんともかまびすしい。
うんざり。
8時半過ぎに起きて近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、CDでクラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したプロコフィエフの古典交響曲と行進曲変ロ長調を聴く。
その後、午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴きながら朝昼兼用の食事をすませ、amazon music unlimitedでリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルが演奏したヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ『とんぼ』、ヨハン・シュトラウスU世のポルカ『ハンガリー万歳!』、ポルカ『ドナウの川辺で』、ワルツ『美しく青きドナウ』、ヨハン・シュトラウスT世のラデツキー行進曲を聴き、ウィリアム・スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第4番とバレエ音楽『くるみ割り人形』組曲、パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したグリーグの劇音楽『ペール・ギュント』組曲第1番と第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、安堂ホセの『ジャクソンひとり』<河出書房新社>を読み始めたりし、ジャン・フルネ指揮東京都交響楽団が演奏したエネスコのルーマニア狂詩曲第1番を聴く。
14時40分過ぎに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、amazon music unlimitedでオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」を聴き、ヨハネス・クルンプ指揮エッセン・フォルクヴァング室内管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第9番、第14番、第20番、第24番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ジャクソンひとり』を読み進めたりする。
実家に電話をかけ、両親と1時間以上話をする。
今日は主に母と話をした。
いろいろと考えることあり。
夕飯後、NHK・FMの『クラッシックの迷宮』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『ジャクソンひとり』を読み進めたりする。
『クラシックの迷宮』は、『芥川也寸志の「やぶにらみの音楽論」〜NHKのアーカイブス』と題して、単に作曲家としてではなく出演者としても放送媒体と密接な関係にあった今は亡き芥川也寸志のそうした仕事の中から、『音楽クラブ』の「やぶにらみの音楽論」と『現代の音楽』の「作曲家の個展」の一部が放送されていた。
入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したフランクの交響曲を聴き、アリシア・デ・ラローチャとデイヴィッド・ジンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第12番、ラローチャとウリ・セガル指揮ウィーン交響楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第22番、ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したシューマンの交響曲第4番(ライヴ録音)、ヴァイオリンのギドン・クレーメルとレナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したバーンスタイン自身のセレナードを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ジャクソンひとり』を読み進めたりしたのち、ギターのマルガリータ・エスカルパが弾いたソルのモーツァルトの歌劇『魔笛』からの6つのアリアを聴く。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢!!
今年こそ本当に帰省しないと。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
今日聴いた音楽から@(2024/3/30)
昨夜に続いて、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲を聴く。
第8番の「ザ・グレート」<WARNER>だ。
この曲といえば、その異名の通り偉大で巨大な交響曲として扱われてきたが、昨今のピリオド流儀の超快速演奏が全盛となってからは、そうしたイメージがだいぶん変わってきた。
もちろん、クレンペラーの演奏はかつてのスタイルに基づくゆったりとしたテンポの演奏。
例えば第1楽章、ピリオド・スタイルでなくとも冒頭の部分が終わると一転加速する解釈が一般的だけれど、クレンペラーの場合はテンポの変化は感じられず、悠揚とした歩みが続く。
ただし、例えばセルジュ・チェリビダッケや晩年のカルロ・マリア・ジュリーニのようなここでもかというほどの遅さではない。
あくまでも前へ進もうという意思が明確に示されているからだ。
テンポの遅さより強く感じるのは、音楽の構えの大きさだろうか。
音の巨大な塊が目の前を過ぎ去っていくような。
そうそう、聴いていてふと今は亡きジャイアント馬場のことを思い出したりもしたんだ。
あまり細部をいじろうとしない分、時々シューベルトの音楽の持つスタイリッシュでない部分が強く感じられるのも、なんだかジャイアント馬場のおとぼけぶりっぽい。
そういえば、クレンペラーも2メートル近くの長身だったという。
名は体を表すではなく、体は藝を表すということか。
リマスタリングの成果もあって、音質にも不満はない。
第8番の「ザ・グレート」<WARNER>だ。
この曲といえば、その異名の通り偉大で巨大な交響曲として扱われてきたが、昨今のピリオド流儀の超快速演奏が全盛となってからは、そうしたイメージがだいぶん変わってきた。
もちろん、クレンペラーの演奏はかつてのスタイルに基づくゆったりとしたテンポの演奏。
例えば第1楽章、ピリオド・スタイルでなくとも冒頭の部分が終わると一転加速する解釈が一般的だけれど、クレンペラーの場合はテンポの変化は感じられず、悠揚とした歩みが続く。
ただし、例えばセルジュ・チェリビダッケや晩年のカルロ・マリア・ジュリーニのようなここでもかというほどの遅さではない。
あくまでも前へ進もうという意思が明確に示されているからだ。
テンポの遅さより強く感じるのは、音楽の構えの大きさだろうか。
音の巨大な塊が目の前を過ぎ去っていくような。
そうそう、聴いていてふと今は亡きジャイアント馬場のことを思い出したりもしたんだ。
あまり細部をいじろうとしない分、時々シューベルトの音楽の持つスタイリッシュでない部分が強く感じられるのも、なんだかジャイアント馬場のおとぼけぶりっぽい。
そういえば、クレンペラーも2メートル近くの長身だったという。
名は体を表すではなく、体は藝を表すということか。
リマスタリングの成果もあって、音質にも不満はない。