2024年03月24日

今日聴いた音楽から(2024/3/24)

 ガリー・ベルティーニ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団が演奏したブラームスの交響曲第3番<SWR>を聴く。
 シュトゥットガルト・リーダーハレでの1985年1月25日のライヴ録音。
 この曲は少し前にグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏を聴いたばかりだが、あちらが言いたいことがあり過ぎて、どうしても口ごもってしまう、といった風な演奏だとすれば、こちらは言いたいことは言うべきときに言うといった感じ。
 ここでもベルティーニはシャープな音楽づくり。
 音の歯切れがよくて、テンポも速めで、全く粘った感じがしない。
 カンテッリでも記したこの曲の音楽のつくりがよくわかることがもちろんだが、それに加えて、そうした音楽のつくりが結果としてどのような音のドラマを生み出すかもはっきりと聴かせてくれる。
 第1楽章の後半、感情が爆発する部分での迫力や、終楽章での運命そっくりのテーマが鳴り響いたあとの追い込みなどベルティーニの劇場感覚がよく発揮されている。
 一方で、第2楽章や有名な第3楽章では決然として前進するといった意志がうかがえ、終楽章の終結部でも明るいというか、希望の見える終わり方をしていた。
 実演を聴けば感嘆しただろうし、こうした録音媒体であれば繰り返し触れたくなるような演奏である。
 録音も見通しがよい。
posted by figarok492na at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

また雨降り(CLACLA日記)

 また雨降り。
 どんよりとしたお天気が続く。

 気温は上がるも、じめじめとして快ならず。
 しかも、花粉は飛んでいる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ!!!
 偏頭痛と耳鳴りもひどし。
 やんなっちゃうなあ、もう。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団が演奏したモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』序曲を聴き、アリシア・デ・ラローチャが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」と第16番、ディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルが演奏したスカルコッタスの4つのギリシャ舞曲、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでマウリツィオ・ポリーニが弾いたシェーンベルクのピアノ曲作品33のaとb、ウェーベルンのピアノのための変奏曲を聴き、エミール・グリューステンが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」、テノールのピョートル・ベチャワがマルコ・ボエミ指揮バレンシア自治州管弦楽団の伴奏で歌ったイタリア・オペラ・アリア集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、山尾悠子の『迷宮遊覧飛行』<河出書房新社>を読み進めたりする。


 12時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、CDでアンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの歌劇『カプリッチョ』から序奏と月の光の音楽、楽劇『ばらの騎士』組曲、amazon music unlimitedでポリーニが弾いたドビュッシーの前奏曲集第2巻と『白と黒で』(子息でピアノのダニエレ・ポリーニの共演)を聴き、ポリーニ指揮ヨーロッパ室内管弦楽団他が演奏したロッシーニの歌劇『湖上の美人』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『迷宮遊覧飛行』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今日は「よなすい」の特番があるため、1時間の短縮バージョン。


 夕飯後、amazon music unlimitedでナチュラル・トランペットのクリスピアン・スティール=パーキンスとターフェルムジークが演奏したヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカベウス』から「見よ、勇者は還る」と歌劇『アタランタ』序曲を聴き、ベンジャミン・ホックマンがイギリス室内管弦楽団を弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第17番と第24番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『迷宮遊覧飛行』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでガリー・ベルティーニ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団が演奏したブラームス:交響曲第3番を聴き、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団が演奏したプロコフィエフのバレエ音楽『シンデレラ』組曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『迷宮遊覧飛行』を読み進めたりし、ポリーニが弾いたシェーンベルクの6つのピアノ小品と5つのピアノ曲を聴き、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら雑件を片付ける。


 今日も、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マウリツィオ・ポリーニを偲んで

 昨日、マウリツィオ・ポリーニが亡くなった。82歳。
 1942年にイタリアのミラノで生まれ、ヴェルディ音楽院で音楽を学び、僅か18歳のときにショパン国際ピアノ・コンクールで優勝して一大センセーションを巻き起こしたが、その後しばらくは世界的な音楽活動を自粛し、1968年になってようやく復帰。
 その後は、コンサート・レコーディングの双方で大活躍し、昨年10月末まで演奏を続けていた。
 そうそう、ポリーニといえば盟友クラウディオ・アバド同様、かつてイタリア共産党員であったという情報も伝わっていて、だからばりばりの活動家であるノーノの作品を積極的に取り上げるのかと腑に落ちたものだ。
 僕がクラシック音楽を聴き始めた1980年代半ばは、ホロヴィッツやリヒテルがまだ存命だったとはいえ、勢いという意味ではポリーニとマルタ・アルゲリッチがピアニストの頂点に立っていた。
 実際、ドイツ・グラモフォン・レーベルのピアニストの二大看板もこの二人だった。
 先日亡くなった同年生まれの寺田農や山本陽子と同じく、自分自身がちょうど芸術芸能に慣れ親しみ始めた頃に輝かしい存在であった人だけに、ポリーニの死は本当に残念でならない。

 などと書きながら、実は僕は彼のあまり良い聴き手ではなかった。
 そうする機会が皆無でなかったにもかかわらず、結局ポリーニの実演に接したことはなかったし、今手元に一枚も彼のCDを持っていない。
 ずいぶん昔、名盤として有名なショパンの練習曲集を買いはしたが、LP時代にサンソン・フランソワの歌い崩したショパンにどっぷりつかった人間には、ポリーニのショパンは辛口硬派に過ぎた。
 しかも、そもそもオーケストラ音楽が好きだった上に、JEUGIA四条店のクラシック音楽担当になって他のジャンルに手を伸ばしだしたときも、フォルテピアノにはまってモダン楽器のピアノを聴く機会はそれほど増えなかった。
 加えて、ちょうど30年前のケルン滞在中、同地に暮らすピアニストとギタリストの日本人夫妻と会食した際、「録音はもちろんのこと、来日公演でもポリーニはミスしないように気をつかっている。こっちで実演を聴いておいたほうがいい」という言葉をいただいたのも大きかった。
 それで、ポリーニを積極的に聴く機会はこれまでほとんどなかったと言っていい。
 返す返すも実演に接することができなかったことを悔やむ。

 けれど、今となってはポリーニを偲ぶには録音に触れるしかない。
 協奏曲をひとまず置くと、ポリーニの録音上のレパートリーはバッハ、ベートーヴェン、ショパン、ドビュッシー、リスト、シューベルト、シューマン、それからシェーンベルクやベルク、ウェーベルンらを含む20世紀に作曲された作品あたりに限られるのではないか。
 一つには、上述したアルゲリッチとの兼ね合いもあったかもしれないが、やはりポリーニ自身の好み、強い意志の反映であることも確かだろう。
 レーベルでは、初期のEMI以外では、正規のリリースはほとんどドイツ・グラモフォン。
 ただ、ペーザロのロッシーニ音楽祭でロッシーニの歌劇『湖上の美人』という超マイナーなオペラを指揮したことがあって、そのライヴ録音*がCBS(現SONY)からリリースされたことがあった。
 今、それをながら聴きしている。

 午前中、シェーンベルクのピアノ曲作品33のaとb、ウェーベルンのピアノのための変奏曲を聴き、今さっきシューベルトのアレグレット、シューマンのアラベスク、そしてドビュッシーの前奏曲集第2巻と『白と黒で』<いずれもDG>を聴いた。
 ドビュッシーの前奏曲集第2巻は、2016年の録音。
 第1巻他が録音されたのは1998年なので、約20年後の録音ということになる。
 74歳だからポリーニにとっては晩年の演奏だが、若い頃に比べれば当然技術的な面で多少の変化は否めないものの、それでも高いテクニックを維持している。
 ドビュッシーというと、印象派云々という言葉が付き物だけれど、ポリーニの演奏だと、単なる気分頼みではなく、音の組み合わせによる音色の変化であるとか、リズム進行であるとか、そうした印象を与えるプロセスが的確に把握され、結果明快に示されている。
 それとともに、この前奏曲集第2巻では、第5曲の「ヒース」のように耳なじみのよい音楽はありつつも、ポリーニが得意とした同時代、「現代音楽」の先駆者としてドビュッシーが位置づけられるべきであることも改めて教えられる。
 それでいて、これはアラベスクにも通じるが、音楽の持つ情感、美しさが退けられるわけではない。
 非常に聴きがいのある演奏だ。
 なお、ピアノ2重奏のための『白と黒で』は、子息のダニエレ・ポリーニとの共演。
 第一次世界大戦中に作曲されたこの作品の時局性について、前奏曲集第2巻でのイギリス国歌やラ・マルセイエーズの引用とも絡めて、NHK・FMの『クラシックの迷宮』で片山杜秀が語っていたはずである。
posted by figarok492na at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする