2024年03月20日

今日聴いた音楽からA(2024/3/20)

 度々来日して東京都交響楽団やNHK交響楽団とよく共演していたガリー・ベルティーニだが、僕は彼の実演には二度しか接したことがない。
 いずれもケルンの放送交響楽団を指揮したコンサートで、一度目は1990年11月28日のフェスティバルホールでのマーラーの交響曲第5番。
 ただこのときは、ホールの上のほうに座ってオーケストラを眺めている情景は記憶しているものの、音楽についてほぼ覚えていない。
 しかし、二度目の1993年11月6日のケルン・フィルハーモニーでのコンサートのことは未だに忘れられない。
 前半がドビュッシーやラヴェル、後半のメインがチャイコフスキーの交響曲第5番というプログラムで、よくコントロールされて無駄な部分のない、それでいて音楽の頂点がはっきりとわかるドラマティックな内容だった。
 当時ケルン放送交響楽団のシェフだったハンス・フォンクがどこか緩い音楽づくりに終始していた上に、ベルティーニのコンサートの翌日、アルミン・ジョルダンとスイス・ロマンド管弦楽団とやって来て、前半と後半の違いはあれど、同じドビュッシーの海とラヴェルのラ・ヴァルスをほわんほわんした響きで聴かせたものだから、ますますベルティーニの指揮の締まり具合が強く印象に残ったのだ。
 そのベルティーニがシュトゥットガルトの放送交響楽団と遺したライヴを中心とする録音が、今年になってまとまってリリースされた。
 ここのところ、それをちょこちょこ聴いていたが。中ではワーグナーの歌劇『さまよえるオランダ人』序曲の丹念で濃密な音楽に感心した。
 今夜は、その組み合わせでモーツァルトの交響曲第40番を聴いた。
 1996年12月1日の東京芸術劇場でのライヴ録音である。
 非常に速いテンポ、そしてよく引き締まったベルティーニらしい演奏だ。
 細部までよく考え抜かれているから、淡々と進んでも素っ気なさまでは感じない。
 実にクリアな音楽で、聴きやすい。
 この曲につきまとうロマンティックな感傷、というかデモーニッシュさは一切感じず、古典派の短調の交響曲のよくできた演奏を聴けたといった感想になるが。
 それはそれで悪くない。
posted by figarok492na at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

春分の日 激しく風が吹く(CLACLA日記)

 春分の日。


 晴天からどんよりとしたお天気へ。
 雨も降る。
 そして、激しく風が吹く。

 
 その代わり、花粉の飛散は少なかったが。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ!!
 花粉症の出が少ないのは助かるものの。
 偏頭痛と耳鳴りは続く。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでチェンバロのバンジャマン・アラールが弾いた『クープラン一族のクラヴサン音楽』、アリシア・デ・ラローチャとゲオルク・ショルティ指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、町田康の『ギケイキ3』<河出書房新社>を読み進めたりしたのち、エリアフ・インバル指揮フランス国立管弦楽団が演奏したラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌを聴き、2時40分過ぎに寝床に就く。


 朝早くからいくつか予定をすませる。

 その後、午前中から午後にかけて、CDでデイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズが演奏したワーグナーの歌劇『さまよえるオランダ人』序曲を聴き、ABCラジオの『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』、amazon music unlimitedでヨハネス・クルンプ指揮ハイデルベルク交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第107番、第11番、第32番、第15番、ラローチャが弾いたモーツァルトのロンドニ長調K.485、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、町田康の『ギケイキ3』<河出書房新社>を読み進めたりする。


 午後、仕事関係のをすませる。


 その後、CDでミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団が演奏したグリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲、プロコフィエフの歌劇『セミョーン・コトコ』序曲、カバレフスキーの歌劇『コラ・ブルニョン』序曲、amazon music unlimitedでヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮スタヴァンゲル交響楽団が演奏したシューマンの交響曲第1番「春」と第2番を聴き、ティファニー・プーンが弾いたシューマンの子供の情景、アラベスク、ダヴィッド同盟舞曲集、パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したグリーグの4つの交響的舞曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『ギケイキ3』を読み進めたりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでジャン・マルティノン指揮ロンドン・フィルが演奏したエロールの歌劇『ザンパ』序曲を聴き、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ギケイキ3』を読み進めたりする。
 今夜の『角田龍平の蛤御門のヘン』は、「“不沈艦”スタン・ハンセンスペシャル」。
 なんとあの、スタン・ハンセンがゲスト!
 そして、プロレス浪漫回の藤井敏之さんと松並修さんもご出演。

 入浴後、amazon music unlimitedでガリー・ベルティーニ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第40番を聴き、ラローチャとショルティ指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第24番、飯森範親指揮パシフィック・フィルハーモニー東京が演奏したモーツァルトの交響曲第31番「パリ」、第23番、第16番、第17番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ギケイキ3』を読み進めたりしたのち、ブルーノ・リグットが弾いたショパンのワルツ第6番「小犬のワルツ」と第1番「華麗なる大円舞曲」を聴く。


 今日も、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/20)

 春分の日だからというわけではないが、シューマンの交響曲第1番「春」と第2番<Challenge Classics>を聴いた。
 演奏は、4月から京都市交響楽団の首席客演指揮者となるオランダ出身のヤン・ヴィレム・デ・フリーント(フリエンド)の指揮するノルウェーのオーケストラ、スタヴァンゲル交響楽団。
 北欧音楽好きはひとまず置くとして、ある程度のオーケストラ好きでないとスタヴァンゲル交響楽団のことを知らないのではないか?
 僕がこのオーケストラの存在を知ったのは、ちょうど30年ほど前のヨーロッパ滞在中に、同じ院の研究科だった大塚陽子さん(現立命館大学政策科学部教授)を訪ねてイギリスのウォーリック大学に遊びに行ったときだ。
 大学のアーツセンターのオーケストラコンサートの年間プログラムの中に、Stavanger Symphony Orchestraも名前を連ねていた。
 確か指揮は当時の首席指揮者のアレクサンドル・ドミトリエフで、お得意のチャイコフスキーかショスタコーヴィチがメインだったような記憶がある。
 ただ、そのときはStavangerを日本語でどう読んで、どう表記するのがよいのかわからなかった。
 スタヴァンゲル交響楽団は1990年からフランス・ブリュッヘンを古楽の音楽監督に迎え、その後も同じポストにフィリップ・ヘレヴェッヘやファビオ・ビオンディを招くなど、比較的早いうちからモダン楽器の演奏にいわゆるピリオド・スタイルを取り入れてきたオーケストラでもある。
 同じくピリオド畑出身のフリーントとのこのアルバムでも、そうしたこれまでの蓄積が大きく生きているように感じた。
 例えば、シカゴ交響楽団のような圧倒的な音の力はないけれど、その分、隅々まで丹念に音楽を磨き込んでいく細やかさではスタヴァンゲル交響楽団に軍配を上げたくなる。
 まず、第1番の「春」から。
 流れのよさ、歯切れのよさはもちろんだが、弦楽器ではあえて角を立てることなく穏やかな響きを生み出す。
 結果、狂瀾よりも春の穏やかさを存分に感じて、愉悦感というのか、最後までリラックスして音楽を聴くことができた。
 続く第2番は一転、この曲の持つ前へ前へ進もうとする前のめり感にわくわくする。
 こちらには「春」というニックネームはないけれど、強い風が吹き荒れている今日の京の春のような趣。
 強弱緩急のメリハリもきいているが、音がいぎたなくならないのは、フリーントの音楽性とともに人柄のあらわれのように思わずにはいられない。
 第1、第2、終楽章と運動性、躍動性が前に出る分、第3楽章の抒情性、夢見るような情感がひときわ印象に残った。
 スタヴァンゲル交響楽団もフリーントの解釈によく応えて、充実したアンサンブルを創り上げていた。

 ちなみに、2025年の1月28日に開催予定の京都市交響楽団第696回定期演奏会では、フリーントがシューマンの交響曲第2番を指揮する予定だ。
 来年のことを言えば鬼が笑うというが、なんとか聴きたいものだなあ!
posted by figarok492na at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする